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since 2007.5.21 八幡山城と近江八幡 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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八幡山城と近江八幡
滋賀県近江八幡市に行って来た。
近江八幡と言えば、近江商人の故郷である。
近江商人とは何か。
 
織田信長の時代が終わり、安土城下の商人が八幡山城(現・近江八幡市)を築いた豊臣秀次に招かれこの地で商いをするようになった。
その後、秀次切腹、浅井三姉妹の初の夫・京極高次が5年ほど治めたが廃城になった。
城はなくなっても、近江商人は商売を続け、天秤棒を担いで全国に出て行き、遠く南蛮貿易に雄飛していった商人もいる。
近江商人の末裔たちは、今も日本経済の中枢にいる。
トヨタ、丸紅、伊藤忠、高島屋、住友、ヤンマー、西武鉄道、西川産業、武田薬品工業、ワコール 東洋紡 日清紡 その他。

近江商人とは、近江を本拠地として他国で行商をする経済集団である。
近江の中で、発祥した地域の名前を取り、八幡商人、日野商人、湖東商人、高島商人と呼ばれた。
商いをする地域も、北海道からベトナムやタイまで広範囲で、取り扱う品も商いする場所もそれぞれ特徴があった。
高島地区から出た、高島商人の中には呉服商になった高島屋もある。
今もデパートとして続いている。浅井家遺臣の子孫にも、高島商人として活躍した人物がいる。
江戸時代初期、みちのくの小京都、南部藩盛岡に「近江屋」を開店させた村井新七である。


下の写真2枚は、八幡商人のひとりで、江戸時代に活躍した伴氏の旧邸宅。
畳表、麻布、蚊帳などを商い、屋号は扇屋と言った。
寛永年間には、江戸日本橋に出店。
近江八幡の、あたり一体を所有する大商人であったが今は御子孫は絶えている。
現在残る旧伴家住宅は、7代目伴庄右衛門が本家として1827〜1840年に建築したもの。
明治時代には、当時の八幡町に譲渡され尋常小学校として利用された。


さてこれがすごい。
豊臣秀次43万石の居城、八幡山城址の石垣である。
叔父の秀吉から、紀伊四国攻めの武功を認められこの地を与えられた。
秀次は、領内統治で善政を敷き城下町建設に情熱を注ぐ。
あるじを亡くした安土から商人を招き、楽市楽座を行い商業を大いに発展させている。
八幡山に城を建設し、見事な石垣が多く現存し必見。


近江商人の崇敬を集めた、日牟礼八幡宮の見事な社殿。
徳川家康が、武運長久を願い50万石を寄進している。


八幡山城の堀は、水路として利用されてきた。
近江商人たちは、この水運で多いに栄えている。


マンホールのデザインが素敵。


既述のように、近江商人たちは安土から移り住んだ人が多い。
信長を失い、秀次を失い、八幡山城が約400年前廃城になった後も、近江をそして日本を繁栄させて行ったのである。

【2014.05.31 Saturday 08:23】 author : いづな薫 
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時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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