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since 2007.5.21 軍師官兵衛「高松城水攻め」 | 戦国カフェ
   
 
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軍師官兵衛「高松城水攻め」
高松城水攻めの川のせき止め工事は、天正10年(1582)5月8日からわずか19日間で完成した。
備中と備前を分ける足守川をせき止めるもので、下流で幅20m高さ7m、長さ2.8kmの大土木工事であった。
寸法、期間に関しては、史料により諸説あり。

ドラマの主人公である黒田官兵衛の発案で描かれたが、秀吉家臣には蜂須賀正勝、前野康長など
川並衆たちのアイディアと見た方が妥当である。
川並衆とは、現・愛知県の木曽川沿いに勢力を張り、川の土木工事に長けた土豪である。

世界で、歴史上水攻めを行った戦いが5つある。
海外は、オランダと中国、日本は備中高松城、武蔵忍城と紀伊太田城の3つで、成功したのは高松城のみである。
自然の地形と梅雨が功を奏した。
大雨が降らなくても、水がたまりやすい地形である。

旧暦5月はちょうど梅雨時であり、連日の降雨により瞬く間に高松城は湖面の浮城になった。
水田や川などの、水面からわずか4mの高さに建つ城である。

後詰軍の小早川隆景も、この水攻めはいかんともしがたく、毛利・小早川の使僧(外交官)である安国寺恵瓊と
黒田官兵衛との和平交渉が開始される。
和平の条件を秀吉か、毛利どちらが先に提示したかは不明である。
毛利方という説では、毛利の領地である備中、備後、美作、因幡、伯耆を割譲を提示したが、
秀吉は清水宗治の切腹を突きつけて来た。と言うもの。
秀吉方から先に条件提示した説では、備中、美作、伯耆と清水宗治切腹と言うもの。
いずれにしても、毛利方は清水宗治の切腹を拒絶した。

交渉はもめにもめ、まとまらない。
難航する秀吉のもとへ、天正10年6月3日夜とんでもない知らせが届いた。

前日2日早朝、主君信長が本能寺で横死、したと言う。

【2014.07.08 Tuesday 11:11】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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