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since 2007.5.21 軍師官兵衛「本能寺の変」 | 戦国カフェ
   
 
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軍師官兵衛「本能寺の変」
 今回、滋賀県知事選の結果を見ようと、官兵衛の画面の上部をじっと見ていた。
なかなか出ないので、はからずドラマをじっくり見てしまった。笑

気になったのが、本能寺の変を伝える密書。
既成作品では、光秀が毛利に宛てたものを使者が間違えて秀吉陣所に持参、なんて言う笑い話のような作品もあったように覚えている。
つまりは、よくわかっていない。

黒田家に伝わる黒田家譜によると、織田信長側近の長谷川宗仁から秀吉に密書があったらしい。
簡単に訳してみる。
「(1582)6月3日夜11時〜1時に、京都にいた信長の家臣・長谷川宗仁より飛脚が来て、孝高(官兵衛)に面会し、昨日2日京都において、信長公、信忠卿を明智日向守が殺してしまったことを、ひそかに書状を渡した。」
宛名は、秀吉であり、官兵衛が先に見ることはないはずである。
明智光秀は、当然毛利に同盟を求めたと推測できるので、信長の死を知らせる密書は他にもあったであろう。
北陸地方で、織田家臣の柴田勝家と覇権を争っていた上杉景勝に書状を書き、提携を呼びかける動きがあったことが分かって来ている。

秀吉が、長谷川宗仁のを1通見たのか、他の密偵のも見たのかは不明である。
密書は、策略としても使われるので、偽手紙であることをまず疑う。
しかし、差出人は信長側近の長谷川宗仁 。
しかも、飛脚は雇い飛脚ではなく、宗仁の家臣であった可能性が強い。

呆然自失となった秀吉を励ましたのが、黒田官兵衛。
黒田家譜では、嘆き悲しみ泣く秀吉に
「信長公のことは言葉を失います。ご愁傷もっとも至極です。しかし、今、あなたが天下人になるチャンスです!」

深夜にも係わらず、官兵衛は安国寺恵瓊を呼び講和交渉を開始する。
しかし、交渉内容も史実はよく分かっていない。
ドラマでは、信長が死んだことを安国寺恵瓊に明かしていたが、後の吉川元春と小早川隆景の記録からも、これはない。
すでに、以前より領土境界交渉は進んでおり、夜分にもかかわらず話し合うのが不自然でない所まで進んでいたと見るべきである。
急に夜呼びつけ、毛利に有利な条件を提示したら、毛利は勘付く。

毛利が信長の死を知ったのは、高松城城主清水宗治の切腹の後である。

【2014.07.15 Tuesday 20:01】 author : いづな薫 
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