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since 2007.5.21 軍師官兵衛「傷だらけの魂」 | 戦国カフェ
   
 
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軍師官兵衛「傷だらけの魂」
 NHKの8月の安倍内閣支持率、7月より4%もUPして51%。
UPする要因もないのに上がり、しかも51%もある。
私は、支持率調査など信じないことにしている。
数字をぶち上げて、それに近くなるよう持って行くのが日本のマスコミである。
NHKは、政府が右と言ったら右に向くそうなので、言うまでもなく政権の広報課である。

軍師官兵衛をはじめ最近の大河は、家族にこだわりが大きい。
これも、国民の面倒は見ないから、介護も子育てもなんでも家族でやれ、という政府の政策に沿っている。
政府の圧力が見え見えの大河である。


官兵衛が、キリスト教に入信する回だったので、そのことを少し書く。
興味深い資料がある。
1586年10月17日、ポルトガル宣教師ルイス・フロイスがアレッサンドラ・バリニャーニ司祭に送った
書簡の中に、官兵衛のことが書かれている。
「本年大坂に居合わせた関白殿の家臣の中に、高貴な貴族で30年前キリシタンとなった小寺官兵衛という
人物がいる。
思慮深く、まれな才能を有するため関白殿は彼を山口の王に遣わして交渉を始めた。」
山口の王とは、毛利氏のことで当時当主輝元は山口居住でなくて、安芸郡山城に住んでいる。
1586年から30年前と言うと、官兵衛は11歳なので官兵衛が単独でキリシタンとなるのは難しい。
なので、おそらくこれは間違い。
しかし、官兵衛が毛利と綿密な交渉を展開していたのは事実である。

官兵衛にキリシタン入信を勧めたのは、高山右近が1583年頃と言われている。
黒田家の公式な記録「黒田家譜」には、入信の記録がない。
家譜が、江戸時代の成立でキリシタン禁教の時代と重なるからであろう。
しかも編纂者は、儒学者の貝原益軒である。
儒学者は、儒教を研究するのでキリスト教には無理がある。

官兵衛の洗礼名は、シメオン。
「耳を傾ける」の意味がある。
古代ユダヤに由来する男性名。ギリシャ語化されてシモン。
「SIMEON JOSUI」と、ローマ字印が押された書状が残っている。

官兵衛は、秀吉の九州攻めにあたり戦場に修道士を連れて行ったとフロイスは書いている。
時間が許す限りそばに置き、自で彼らの世話をしながら、家臣たちに教えを聞かせた。
官兵衛が不慣れな手つきで十字を切り、頭と両手を床に着けひれ伏していたと言う。
その姿は真摯で、見ている者に感動を与えたとある。

1587年、秀吉によるバテレン追放令が出て官兵衛は表面上棄教する。
しかし、キリシタン迫害の時代になっても、官兵衛はキリシタンを保護し続けた。
イエスズ会に1000エスクの寄付があったことを、明治期にパリ生まれの東洋学者のレオン・パジェスは「日本耶蘇教史」に記録している。

長政ら子供たちは入信したが、熱心な浄土宗信者である妻光(てる)は入信していない。
秀吉にキリシタン庇護を責められたこともあったが、その信念は曲げなかったようだ。
家譜にはないが、官兵衛の葬儀は博多の教会でキリスト教式で厳粛に行われたとキリスト教関連の史料にはある。

【2014.08.18 Monday 11:34】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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