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since 2007.5.21 軍師官兵衛「紀井谷の悲劇」 | 戦国カフェ
   
 
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軍師官兵衛「紀井谷の悲劇」
宇都宮氏で思い出したことがあり、蒙古襲来絵詞(宮内庁蔵)の本を開いている。

文永11年(1274)と弘安4年(1284)の2度にわたる元寇で、出陣した肥後国御家人・竹崎季長が描かせた絵巻である。
風俗や戦闘の緻密な描写は鎌倉時代を今に伝える、大変貴重な史料である。
この絵巻の中に、竹崎の他にも、騎馬武者が沢山出て来る。
とある騎馬武者の甲冑の臑当(すねあて)に、左三つ巴の家紋が描かれているのである。
左三つ巴は、宇都宮氏の家紋である。
絵巻に出て来る人物郡は、絵巻を作成した竹崎季長と何らかの関係がある。
宇都宮は、竹崎の親類縁者である。

宇都宮氏は、元は藤原宗円と言う公家の流れを汲む名門家系で、鎌倉時代下野国(現在栃木県)に住む有力御家人であった。
宗円の次男の子信房が、源頼朝の命を受け喜界ヶ島(現鹿児島県)の阿多平四郎を討ち、功績により
豊前国で地頭職を与えられた。

蒙古襲来絵詞に描かれた元寇は、執権北条氏の時代である。
頼朝より後の、北条執権時代も宇都宮氏は北条氏と政治的に密接な関係を結び、当時国土の防衛線である九州において重要な任務を担っている。


彼らが、官兵衛に出て来る宇都宮鎮房(しげふさ)祖先である。
以来、400年間18代にわたり豊前・城井谷(きいだに)に住んだ。

余談だが、下野国宇都宮氏は秀吉の時代に改易になり、御典医だった・宇津権右衛門は帰農する。
農業の傍ら、村人のために作った薬が「金匱(きんき・貴重な)救命丸」。
これが、今でも売られている赤ちゃんの薬、「宇津救命丸」である。

宇都宮鎮房(しげふさ)に話を移す。
秀吉が、伊予へ転封を命じたのに命令に従わない。
後に入って来た官兵衛とは、合わないのは当然である。
一揆を起こし最後まで従わない宇都宮鎮房(しげふさ)を、父官兵衛の命令に逆らい、
長政が2000の兵で攻めるが、逆に惨敗。
失った兵は、なんと864人。
城は、城井川、峰に囲まれ、幾つもの砦を配置した天然の要害である。
比較的少人数でも、防御できる城である。

やがて、黒田と宇都宮は和睦を結び、宇都宮が息子・朝房と娘・鶴を黒田家へ出仕させることになった。
しかし、家臣を大勢討たれた長政は、宇都宮を許すつもりはなかったと見える。
元はといえば、長政自身の失策なのだが。
秀吉の命に従わなかった鎮房(しげふさ)も、一族皆殺しの原因である。

父官兵衛は、肥後出陣へ鎮房(しげふさ)の子朝房を連れて行っている。
この朝房も出陣中、殺される。

父子を引き離し、長政は酒宴に宇都宮鎮房(しげふさ)を呼び、惨殺。
城下の、合元寺に控えていた宇都宮家臣たちをすべて謀殺している。
合元寺の壁は、寺なのに真っ赤に塗られている。
この時の血糊が、消しても、消しても消えないので、壁を赤く塗ってしまったと言う。
柱には、当時の刀傷がいくつも残っている。

惨劇はまだ終わらなかった。
城井谷(きいだに)に長政らが攻め入り、鎮房(しげふさ)の父・長房ら一族も殺害された。
出仕していた娘・鶴も磔(はりつけ)となっている。

【2014.09.15 Monday 11:23】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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