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since 2007.5.21 軍師官兵衛「跡を継ぐ者」 | 戦国カフェ
   
 
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軍師官兵衛「跡を継ぐ者」
秀吉が、いきなり無慈悲な殺戮を始めたようにドラマでは描かれていたが何もこの時始まったことではない。

天正17年(1589)5月15日、44歳の官兵衛は22歳の長政に家督を譲る。
今から考えると早い当主交代だが、官兵衛も22歳で44歳の父・職隆から家督を継いだ。
伊達政宗は18歳で41歳の父輝宗から家督を継いだ。
北条氏直は21歳で、父の氏政は43歳である。

子供は自立し、親は後見にまわり別の職務を始める場合もある。
官兵衛の場合は、秀吉がまだまだその知略を必要とした。
小田原城攻囲網を行った北条攻めは、この翌年である。

家督交代は許されても、隠居はさせない。
官兵衛が、子・長政家督相続を申し出た時、秀吉はすんなりOKしなかったことが、「黒田家譜」に記録されている。
訳すると、「孝高(官兵衛の名)の才智を惜しんで、年いまだ五十にもなっていないのに引っこみ安楽に暮らす事はかなわない。と、隠居は許されなかった。常に左右に置いて謀を問い知略を用いた。」

官兵衛は、北政所に願い出て秀吉を説得してくれるよう頼んでいる。
秀吉は茶々に入れ込んでいるが、正室おねの力は大きい。
長政は、子供の頃、信長に人質として送られ秀吉預かりとなりおねが面倒見ていた。

官兵衛が家督を譲ったのは、宇都宮鎮房(しずふさ)の一族皆殺しのような凄惨な出来事の後である。
責任を取るの意味を含み、政務を一新、そして秀吉の官兵衛への疑心暗鬼から逃れるためだったのかもしれない。

官兵衛は豊前を長政に任せ、京の聚楽第の猪熊邸に住むようになった。
猪熊邸は、千利休邸のお隣である。
今でも官兵衛にちなんで「如水町」や「小寺町」の地名が付近に残る。
この辺りは聚楽第跡の石碑の他に、上杉景勝邸や、利休邸の碑もあり面白いので可能な方は訪ねてみると楽しい。

一方、黒田家当主となった長政は、天正17年(1589)6月17日、従五位下甲斐守を任ぜられた。

【2014.09.29 Monday 09:57】 author : いづな薫 
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