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since 2007.5.21 竹田城探訪記 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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竹田城探訪記

痛々しい城である。
それが、私が見た竹田城の感想である。

城の郭、道が黒いシートに覆われて保護されている。
今まで、結構山城を見て来たがこんなに人の多い山城は初めてである。
平日なのに竹田城駐車場には、中型バスが8台。
地元のローカルバスが、同じ時刻に2台来る。
20〜30分に1本のバスなので、次のバスが間隔を狭めて来てしまったのではないだろう。

10年前竹田城の来訪者は1万2千人ほどだったが、今や年間100万人超えそうである。
よって、城の地面の土が踏まれ草がなくなり地面が露出した。
激しい雨が降れば、土砂崩れのように土が崩れ落ちる。
報道でもあったが、石垣がずれたり、土が取れ石垣の石が露出したりした。
年代を経て、老朽化したものなら石垣の上部のみ崩れると言うことはない。
年月を経て重みがかかったり、木の根が大きくなることで、石垣の中間部が膨らみ「孕み」とよばれる現象が起きる。
竹田城では、上部表面の破損の他、この孕みも起きていて修復が行われている。


シートに覆われた二の丸から、補修工事のため登城できない天主台を望む。
天主台と本丸は、昨年転落事故があり立ち入り禁止。

2014年には来訪者100万人超えそうな竹田城には、本来の山城ファンではない方も訪れる。
それは良い。
私が訪れた10月8日の早朝も、朝霧が漂い幻想的な景色が見られたそうだ。
しかし、ロマンチックな情景から、恋人の聖地なんて宣伝までしている。
この日も、石垣の端っこで落ちそうになりながらスマホで自撮りするカップルを見た。

地元のボランティアガイドさんに、城縄張りの話をしても官兵衛や忍たま乱太郎のロケ地になった話に切り替わるので、史跡としての価値がより分かるよう説明内容を変えた方が良い。


竹田城は、観光地である前に貴重な文化財である。
ハイヒールや、朝霧を見るためのテントを杭で打つのは破壊行為である。
驚いたことに、10cmくらいのヒールを見かけた。
喫煙、ゴミ放置も厳禁である。
私は見ていないが、違法駐車や瓦を持ち帰りなどする人もいると言う。
瓦ひとかけ、土一握りみな文化財である。
持ち帰れば、「文化財保護法」に触れ罪に問われると自覚して欲しい。

新潟県上越市の春日山城整備計画が出た時も、詳しく述べたことだがどんなお客でもいいから誘致しようとすれば、逆に失敗する。
ブームは一過性のものである。
文化財保護意識が、来訪者一人ひとりに欲しい。

最後に、城の概要を記す。
嘉吉年間(1441〜1443)守護大名山名宗全が築城。
最も標高の高い天主台は、357.7m。
南北400m東西100mの壮大な石垣は、16世紀末に入城した赤松広秀の時に築かれている。
石は、野面積み、穴太積み、安土城をも築いた穴太衆(あのうしゅう)によって築かれている。
赤松広秀は、2万2千石の小大名である。

地理的には、丹波、但馬につながる播但道(ばんたんどう)と山陰道の交差地点、交通の要衝に築かれている。


織田信長の時代、信長が毛利輝元と対立し、信長の命を受けた羽柴秀吉が但馬・西播磨へ出陣し、生野銀山を掌握。
重要財源である、生野銀山を守るという使命がこの城にはあった。
当時最先端のハイテク技術集団・穴太衆を動かしたのは、信長の命を受けた羽柴秀吉であると考えられる。
地理的には、丹波、但馬につながる播但道(ばんたんどう)と山陰道の交差地点、交通の要衝に築かれている。

【2014.10.17 Friday 19:29】 author : いづな薫 
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この記事に関するコメント
こんな時代もあったんですけどね

痛々しいですね
| たかしくん | 2014/10/19 7:04 PM |
福島県泉崎村の泉崎横穴へ行ってきました。今から約1400年前の古墳時代につくられたもので、石でできた装飾壁画横穴墓です。横穴の内部には赤色の顔料によって人や馬、渦巻きなどの絵が描かれています。中には入れませんが資料館やネットなどで壁画の絵が確認できます。問題は天井に描かれた渦巻き文様であります。なんでしょうか?太陽や月なら丸いはずです。雲は渦など巻いていません。台風でしょうか、いや今でこそ衛星写真で渦巻きが確認できますが、当時は風でしかないわけですから台風ではありません。なんだろう、その下では女性が貢ぎ物を高々と掲げ、男たち四人が手をつなぎ♪ウララウララ♪(´▽`)と踊っている、地面の二本の線も気になる、わかった空中で回転している空飛ぶ円盤だ。場所も福島だし間違いない。皆さんの意見をお聞きしたい。
| 串かつ | 2014/10/19 7:09 PM |
たかしくん様

コメントありがとうございます。
天と地と、忍たま乱太郎、軍師官兵衛などいろいろロケに使われていますね。
ロケのあとは綺麗に片付けられたのでしょうか。
史跡の地面下には、文化財が埋っています。
荷重に耐えられず、破損してしまうこともあります。
| いづな薫 | 2014/10/20 4:09 PM |
串かつ先生

コメントありがとうございます。
泉崎横穴のHP見ました。
赤い染料は、魔除けや厄除けの意味があります。
私は、もう少し後の古代史を専攻していたのですが、古墳時代も大変興味があります。
幾何学文様が描かれた、古墳はたくさんありますがそれが何かは学問的には良くわかっていません。
天井に描かれた円文は、太陽の可能性がありますね。
時代、場所によって太陽の描き方、色が違うのよくあります。

>男たち四人が手をつなぎ♪ウララウララ♪(´▽`)と踊っている、地面の二本の線も気になる、

私は、これ装飾古墳によくある「出行・しゅっこう」の動きではないかと思います。
2本の線はひょっとしたら船かもしれません。
魂魄を外出させるのです。
「墓室は狭いから、たまには息抜きしてね」と言うことです。
お墓の入り口に、お供物が供えてあるのはなぜだと思いますか?
「食べてね、でもその先は生きている人の世界なのでここまで。」
| いづな薫 | 2014/10/20 4:42 PM |
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時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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