大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 真田丸「挑戦」 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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真田丸「挑戦」
真田丸、出張に出かけていて、見たのが再放送の本日です。

武田家が滅亡し、織田信長の勢力が信濃・上野(こうずけ)に迫る中、真田昌幸は織田に人質を差し出さねばならなくなる。
天正10年3月15日、真田昌幸は家臣で叔父の矢沢とともに、信濃高遠にいた織田信忠(信長嫡男)に、娘を人質に出すことを約束している。
真田家臣の、加沢平次左衛門が書いた「加沢記」によって確認できる。
信長は、武田家の領地のうち甲斐、信濃、上野の3国を取り上げている。
信長が関東管領に、滝川一益を任命したのもこの時である。
関東管領、上杉謙信が生きていた時はその任にあったが、信長最晩年にはこの滝川一益である。
信長は、滝川に上野(こうずけ)と、信濃のうち小県(ちいさがた)と佐久郡を与えた。
滝川一益は、天正10年3月19日1万の軍で上野(こうずけ)の箕輪城に到着し、5月末には厩橋城(まやばし城、現前橋)に移った。
天正10年はあわただしい年である。
信長が、6月2日早朝京都本能寺で明智光秀に攻められて、死んだ。

滝川一益の関東支配も終わる。
彼が、本能寺の変を知ったのは、6月7日である。
滝川一益は、上野の国衆たちに信長の死を知らせ人質を返還して来たと言う。
昌幸の娘はこの時返されたのである。
6月18日には、上野国に攻め入って来た北条氏と滝川一益は戦い敗れている。(神流川合戦)
真田家は、信長死亡情報と人質変換してくれた恩義に報いて、滝川一益に味方して北条と戦ったのである。

感想。
明智光秀が例によって信長にボコボコにされた時、ポンポコ家康が介抱していた。
このドラマの家康は親切。苦労の多かった人だし。
後半、信繁と対立するのでキャラを際立たせるためにソフトな人格に演出しているのかもしれない。
タヌキが多い番組だが、もう一人のタヌキ、真田昌幸。
松が人質に出される時、父ダヌキを子ダヌキ3人が必至に言いくるめようとしているのが面白かった。
ドラマの中の、安土商店街が面白い。
今の、JR安土駅前はこんな感じだったのか。

【2016.02.06 Saturday 15:42】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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