大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 真田信繁(幸村)は難民移民の子孫? | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
<< 武将トミカ | main | お知らせ >>
真田信繁(幸村)は難民移民の子孫?
真田昌幸、信幸、信繁で有名な真田一族は、渡来系だとの説がある。

真田氏は、もとは信濃の名族滋野氏に連なり海野氏の嫡流だと自ら言っている。
この、滋野氏が渡来系一族であり朝鮮や渤海あたりから来たようだ。
ただ、確証となる史料はない。
まあ、歴史なんてこれが現状である。
見て来たかのように描く大河ドラマは創作である。


朝鮮あたりから来たかもしれない、真田氏のご先祖様が何をしていたか。
わかっていることが一つある。
朝鮮にいた頃も、日本渡来後も営んでいた職業である。
これが、牧場経営である。


牧場経営と言うと、ローカルな仕事のように思えるが奈良や京都に都が置かれていた頃は、
ハイテク技術なのである。
最先端テクノロジーである
当時の朝廷である大和朝廷が32の国営牧場を持ち、その管理者として滋野氏が知られている。
国営牧場の半分が、信濃にあった。
滋野氏のリーダーが、海野氏である。
これの子孫が真田だと言う。


石を円く削るの技術をもたらしたのも渡来人である。
彼らは、朝鮮で自国が滅び、難民として日本に来た。
そして当時の日本に、その高度な技術を高く買われて定住したのである。
石の技術は、古墳や飛鳥の遺跡となり、牧場は今日も各地に経営されている。

真田と滋野氏の血縁関係は、歴史学で厳密にいうと確証はない。
でも、真田信繁は優秀な技術を持った難民移民の子孫かもしれない。
古来から、日本は難民を多く受け入れて来た。
現在、日本は難民移民の受け入れ数が少ないことで有名である。
歴史を学ぶと、現代の日本とまた違う日本が見えて来る。

【2016.03.06 Sunday 10:02】 author : いづな薫 
| 真田丸 | comments(2) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
たしかに、長野県は真田の里である菅平高原は牧場に適した土地です。
夏場遊牧して、冬場は上田の里に下ろして牧舎にて餌を与える。
大きくなったら歩かせて都に収める、こんな感じでしょうか。
いまで言えば御領牧場だ。金銭的にも裕福のはず。山奥だからお金の使い道はないが。
長野県は気候が北海道に似ていて関東圏だから積雪も少ないときている。
私も長野に仕事で3年いましたから、真田の里に住んでもいいなと思いました。
小県(ちいさがた)では皆仲良く暮らしていたのでしょう。戦国時代までは
しかし全員徳川に付いたのはまずかったですね、一人でも北条方にいればなんとか
なったのだが、ここでの経験が関が原に活かせるんでないですか。
| 串かつ | 2016/03/08 3:46 PM |
串かつ先生

コメントありがとうございます。
信濃の牧場をよくご存じなのですね。

>長野県は気候が北海道に似ていて関東圏だから積雪も少ないときている。

なるほど。雪質がさらさらとして北海道に似ていると思いましたが、積雪量は北海道より少ないのですね。
真田の里、夏は涼しいし良いですよね。
低山の真ん中あたりまで、霧がかかっていて綺麗だなと思いました。
真田家のような、豊かな土地に住む小さい勢力は本当に大変ですね。
良く残ったものです。
| いづな薫 | 2016/03/08 4:01 PM |
コメントする









過去のページへ
この記事のトラックバックURL
http://cafe.kenshingen.fem.jp/trackback/1416986
トラックバック

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中