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since 2007.5.21 上田城その1 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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上田城その1

上田城大手門



中央の大きな石が、「真田石」
上田城大手門の横にある。
真田信幸が松代に転封になり、父昌幸の形見としてこの石を持って行こうとしたが微動だにしなかったと言う。
現在の石垣は、その後の藩主仙石忠政が作ったもので、このお話は信憑性が薄い。
上田の人々が、信之を偲んで生まれた話だろうか。
善政を敷いた信之、彼を偲ぶ逸話と墓所の立派さ、領民に慕われた殿様だったようだ。


上田城西櫓(にしやぐら)を中から見た。
太い梁(はり)がめぐらされている。
390年経っていて、真田氏の次の仙石氏の時代のもの。


上田城内にある真田井戸。直径2m深さ16.5m。
伝承によるとこの井戸は抜け穴で、城北の太郎山麓の砦や、現在上田高校の上田藩主居館に通じていると言う。



西櫓から見る、尼ヶ淵河岸段丘の町、上田市。

【2016.04.05 Tuesday 19:35】 author : いづな薫 
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この記事に関するコメント
牛に引かれて善光寺参り
長野善光寺の裏手に真田家の供養塔があるんですね、今度行ってみよう。
善光寺は通算四回行きましたけど気づかなかった。
巨大な木造建築ですね、国宝です。奈良東大寺や京都東本願寺につぐ規模です。
同じ仏教徒としてのチベット騒乱の犠牲者への追悼で、北京オリンピックの聖火リレー
の出発式会場辞退など、根性ありますね。相手が誰であろうと、真田家や家中の
いづな先生に相通ずる。
懐かしい風景だ、長野で仕事していた時は、長野市内から丸子や白馬、
飯綱高原、菅平高原と現場へ通勤していました。松本の時は松本温泉に宿泊
していました。松本城の直ぐ近くで洗面所の窓から天守閣見ながら歯を磨いていました。
白馬は7月からが最高です。飯綱は加賀藩の参勤交代宿泊場所で、江戸までの
約中間地点だそうです。やれやれ、あと半分だと疲れを癒したのでしょう。
| 串かつ | 2016/04/07 8:14 PM |
串かつ先生

コメント嬉しいです。
 
>長野善光寺の裏手に真田家の供養塔があるんですね、今度行ってみよう。

松代藩真田家は、善光寺再建の折材木を手配しておりました。
今でも、7年に1度の御開帳の回向柱は松代から運ばれます。
あと、善光寺裏手にある霊山寺には川中島戦士首塚供養塔と謙信物見の岩がありますのでお寄りになってみて下さい。
謙信公、すごく身軽な人だったと感じます。

〉根性ありますね。相手が誰であろうと、真田家や家中の
いづな先生に相通ずる。

私???

〉懐かしい風景だ、長野で仕事していた時は、長野市内から丸子や白馬、 飯綱高原、菅平高原と現場へ通勤していました。松本の時は松本温泉に宿泊 していました。松本城の直ぐ近くで洗面所の窓から天守閣見ながら歯を磨いていました。
白馬は7月からが最高です。

白馬も松本も参りました。
私も長野好きです。ドイツに似ていて暮らしてみたいと思うくらいです。
会ったこともないご先祖様が暮らした松代武家屋敷を先日、歩いて参りました。
毎日ここから、城へ出勤していたのだと思うと懐かしいような気も致します。
景観保存を良くしている町です。
| いづな薫 | 2016/04/07 9:04 PM |
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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