大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 西郷どん「立派なお侍」 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
<< 西郷どん「薩摩のやっせんぼ」 | main | ナマ謙信公 >>
西郷どん「立派なお侍」
米国映画「ラストサムライ」モデルは、西郷隆盛である。
内村鑑三の「代表的日本人」では、西郷は最高の武士、最後の武士として書かれている。
「代表的日本人」は、日本が海外交流が盛んになり始めた19世紀末、キリスト教指導者内村鑑三が日本の偉人たちを世界に紹介しようと英語で書いたものである。

今回は西郷は立派なお侍だけれども、まだ無力だったと言うお話。
薩摩藩は、武士が、25〜30%もいる。
全国平均で、5%くらいである。
江戸時代、それしか武士はいない。ちなみに百姓は85%。
侍ジャパンなんて、うそ。”百姓ジャパン”である。

若干侍ジャパンに近い薩摩は、全国平均の5倍もの侍がいる。
半農の武士もいたが、基本武士は、農業を専業とする人々ではない。
薩摩は軍事大国なのである。
西郷らの時代の260年前、島津は関が原で家康の陣の前を突破して伊勢へ退き、国許まで逃げ切り、そのまま薩摩に立てこもったのである。
家康が島津を潰そうものなら、”島津は海賊になって徳川の船をすべて沈めるぞ!”くらいの勢いである。
将軍のいる江戸から遠く離れて、薩摩藩は江戸時代、独立国の様相を呈していた。
よそ者が入ってくれば、すぐにわかるように薩摩は独特の方言を使う。
薩摩に入り込んだ間者は、帰って来ないので、「薩摩飛脚」の語源になった。

とは言え、薩摩は莫大な借金に苦しむことになる。
島津氏第25代当主で、薩摩藩の第8代藩主に島津重豪(しげひで)と言う人物がいる。
この重豪が、大の蘭学好きで長崎のオランダ船に乗ったり、オランダ語勉強したりした。
医学、天文学、暦学など藩士の教育にも熱心だった。
安永元年(1771年)には藩校・造士館を、設立。
武芸を奨励するため演武館も作った。
重豪が偉いのは、学問所を武士だけの教育の場とせず、百姓町人にも門戸を開いたことである。

ただ、これには莫大な費用がかかった。
島津の財政を傾けた政策は、重豪の晩年、経済に明るい調所広郷を重用することで方針転換した。
借金額500万両。
今で言えば、1兆2500億円に相当する。
借金返済したのは、重豪の孫斉興(なりおき)の頃である。
ドラマにはお爺さんになった調所広郷が出ていた。
彼も元は下級武士である。

さて、蘭学かぶれの重豪の影響を受けたのが、ひ孫の斉彬である。
聡明で性格も良かったひ孫の斉彬を重豪は、大変可愛がっている。
風呂も一緒だったと言う。

さて、島津斉彬は藩主となり西郷隆盛を重用する。
「西郷は独立の気象あるがゆえに、彼を使う者は私ならではあるまじく」と越前藩主松平春嶽(しゅんがく)に言っている。
「独特の気象」とは何か。
西郷の人を思いやる気持ちの深さを、島津斉彬は言っているのだと推測する。

「西郷は思いやりの気持ちが強すぎるから、彼を使うのは私でなくてはならない。」

西郷も島津斉彬も、一級の人物である。

感想。
いやはや、みんなすごい貧乏だ。
西郷家が貧乏だと思っていたら、ふきどんのうちは更に貧乏。
貧乏だけど、みな礼儀正しく、良い人ばかり。
大変なことがあっても礼儀正しく、良い人であれ?

国民から金取って政府の都合の良いことしか放送しないNHKのドラマなので、その点差し引いて見ている。

【2018.01.15 Monday 10:05】 author : いづな薫 
| 西郷どん | comments(0) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
コメントする









過去のページへ
この記事のトラックバックURL
http://cafe.kenshingen.fem.jp/trackback/1417387
トラックバック

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、サッカー日本代表、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中