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since 2007.5.21 西郷どん「新しき藩主」 | 戦国カフェ
   
 
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西郷どん「新しき藩主」
島津親子のロシアンルーレット、これはもちろん創作である。

今回、切腹を命じられた赤山靱負(あかやま ゆきえ)は、島津家の親戚である。
しかも、本家島津家に継ぐ家格である。

西郷隆盛の父・吉兵衛が、赤山の介錯をしていたが実際は剣の達人加藤親平と言う人物が担った。
赤山靱負の血の付いた肌着を、西郷吉兵衛が家に持ち帰り、息子の西郷吉之助に多大な影響を与えたことは真実である。

赤山靱負(あかやま ゆきえ)の父久風は、藩主島津斉興に仕えた人物である。
父久風は、当然斉興派だが、息子の靱負は斉彬についた。

靱負は斉彬派の藩士たちとともに、斉彬を藩主にすべく運動する。
一方、斉興派も久光を藩主にすべく動きだす。
斉彬派が、斉興派家老調所広郷(ずしょひろさと)を自殺においこんだのが、前回である。

島津斉興はこれを知り激怒。
斉彬派の藩士を13人切腹、遠島に処した。
これが、赤山靱負(あかやま ゆきえ)や大久保正助(利通)の父・利世
である。

赤山家の御用人をしていたのが、西郷の父で、吉之助にとって、赤山靱負(あかやま ゆきえ)は師であり兄のような存在である。
赤山靱負(あかやま ゆきえ)は西郷吉之助より4歳年上で27歳で自宅で切腹して果てた。

西郷吉之助は、父から赤山の血の付いた肌着を受け取り号泣したと言われている。
犠牲を払い誕生したのが、藩主島津斉彬。吉之助らの待望の藩主である。
鎌倉時代から続いた島津氏28代め当主、藩主として11代めである。

幕府から茶道具渡されると、隠居勧告。
斉興が今回渡されていた。
あの茶道具は、茶入れで朱衣肩衝(あけのころもかたつき)である。
赤っぽい飴色で、僧侶の衣に似たことからこの名前がある。
千利休の師、武野紹鴎が所有し、後に徳川家康が持ち紀州徳川家に渡り、再び徳川宗家に戻った。

茶入れは、濃茶を入れておく容器である。濃茶は一服の茶を皆で回し飲みする。
薄茶は棗(なつめ)に入れる。
茶入れの蓋の内側には金が貼られている。
毒を感知するためである。


【2018.01.31 Wednesday 10:30】 author : いづな薫 
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かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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