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since 2007.5.21 京のかたな 来派その1 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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京のかたな 来派その1


京のかたな展に行って参りました。

京のかたなと言えば、「来派」でしょう。
鎌倉時代初期〜後期に渡り、京で栄えていたのは粟田口派です。
粟田口派に代わり出て来たのが、来派です。
渡来人系の刀工たちと言われてきましたが、近年の研究では確たる証拠が乏しく、研究が待たれる所です。
鎌倉時代中〜後期から南北朝時代にかけて、発展しました。

来派の祖は、国吉と言います。
国吉の孫が著名な、国俊です。
「国俊」と、二字銘に切る場合を「二字国俊」と呼びます。
また、三字銘「来国俊」と切ることも有ります。
昔から、これは同じ人物だ、いや違う人物だと論争がされています。
作風も違います。

前者の「二字国俊」は、身幅が広く、猪首切先(いくびきっさき)で備前一文字のような丁子刃を焼く堂々たる姿です。
一方、「来国俊」は細身で繊細な太刀姿で、刃文も直刃か小さく乱れるものです。
来国俊は、見た目が総じて優美なのです。
短刀だと、まっすぐな体配で非常に洗練されていてエレガントです。
確かに別人説が生まれて来そうな出来なのです。

ただ、長船長光なども人生の前半後半では作風が変わってきており、時代のニーズに合わせて作風を変えたという説も撮れるのです。
時代のニーズとは何か。

時は鎌倉時代です。
元寇がやって来たのです。
元の兵士たちは、革の鎧を着ています。
それまでの日本刀は、固い大鎧と戦うためのものでした。
元軍の鎧は柔らかい革で出来ています。
これまでの日本刀は、幅広、猪首切先(いくびきっさき)で、刃の断面図は蛤刃(はまぐりば)と言われる丸みを帯びた豪壮な形をしています。 これでは、元軍の革鎧は切れないのです。
刀の技術革新が必要になりました。
元寇直後以降の太刀は、身幅尋常、切先が尋常か細くなるかし、刃も薄くなってきます。
これまでの高低差の目立つ丁子刃は無くなって行きます。
まっすぐとした直刃か、小互の目(こぐのめ)交じりや、直刃に足入りのものが俄然増えて行きます。

革新に成功したのは、相州の正宗です。
正宗の技術は、全国に伝播していきます。

元寇は、日本刀を一変させた事件であったのです。

その2につづく。

【2018.11.03 Saturday 17:03】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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