大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
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戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
東京上空で飛行する魔の11分


東京オリンピックに向けて、舛添元都知事の時に決められたのが羽田空港増便計画である。
日本は、島国なので外国から日本に入国しようと思うと、飛行機が非常に重要である。
東京の年間観光客数は、5億2000万人である。
そのうち外国人客が1310万人である。

羽田空港から飛び立った飛行機が東京23区を時計回りに迂回し、千葉県方面から海に出て行く。
私が見たのはそのうちの1機だろう。
港区、大田区、渋谷区、新宿区、中野区、北区、練馬区、品川区などの上を行きかう。
東京タワ-の333mより低い300mまで降下し羽田へ着陸する。
今のような夏の時期、南風に乗って埼玉上空から新宿900m、渋谷〜大井〜羽田に着陸する。

私が今日見たのは、何mだか知らないが、エンジンやタイヤをしまう扉の形が判別出来た。
新宿で900m、恵比寿で400mである。
スカイツリーが634m、東京タワーが333mである。

東京には米軍の横田基地がある。
この米軍基地が持つ横田空域のエリアを日本の航空機は通過できない。
横田空域のせいで、日本他民間機は大廻りして移動している。
時間もかかり、その間無駄に使う燃料は、大阪羽田間の年間燃料費代に匹敵する。

クリティカル‐イレブンミニッツ(critical eleven minutes)と言う言葉を、皆さまご存じだろうか。
クリティカルは「危機的」の意味である。
航空機の離陸後3分と着陸前8分の、合計11分間が、非常に危ない事を表している。
雪や突風など天気の変化、鳥の衝突の恐れがあり、この11分間の操縦はマニュアルで行われる。
ヒューマンエラーもあり、事故が起こりやすくなる時間帯である。
魔の11分間を東京の上を飛ぶことになる。

もしもエンジンに異常が起きたら、どうするのか。
実際、飛行機事故の8割はこの11分の間に起きている。
乗務員が最も緊張する時間である。
もしも、この時間にエンジントラブルが起きたら、対処が非常に難しいとパイロットは証言する。
32年前羽田を離陸した日航123便も、この直後に事故が起きた。

飛行機が何でもなくても、氷や部品など落とし物をすることだってありうる。

いま日本は、すべて経済優先に動いている。
多少の犠牲はやむを得ないとすら、政官財は考えているのではないか。

2020年までに外国人観光客数を4000万人にする。
それは国家戦略である。
そのために、羽田では国際線の大幅な増便が急がれている。

全ては経済優先、米国優先の国家戦略である。
経済団体は、一般国民よりはるかに密接に政治家を支援しつながりを持っている。
昨今では、小池ゆり子、若狭勝、細野、長島、渡辺と言う米国利益代弁者の日本政治家がグループを作りそうだ。
国民も自身の生活と安全のために、政治に参加して行かないと生命財産を守れない。

【2017.08.09 Wednesday 20:21】 author : いづな薫 
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角館 青柳家



殿様佐竹一門の芦名(あしな)氏の家臣団だったのがこの青柳家です。
芦名氏は断絶し、やはり親戚の佐竹北家に仕えました。
屋敷の広さは3000坪あります。
植わっている植木は、600種もあります。
薬医門をくぐって入ると、道沿いに武者窓とよばれるのぞき窓のついた造りになっています。
薬医門は公家や上級武士の武家屋敷の正門とされています。
その横には、樹齢400年の枝垂れ桜が植わっていました。
角館の観光写真によく写っているのがこの青柳家です。
禄高は104石。

皆さま、江戸時代の医師・杉田玄白が記した「解体新書」と言う本を聞いたことがあると思います。
解剖図を載せた医学の本です。
杉田玄白39歳が前野良沢49歳、中川淳庵33歳、桂川甫周21歳らが、オランダの医学書「ターヘル・アナトミア」を翻訳して作成したのが、「解体新書」です。
オランダ語が少々わかるのが前野良沢しかおらず、後の3人はさっぱり。
翻訳は困難を極めます。
「神経」、「軟骨」、「動脈」、「十二指腸」なんて言葉が初めて翻訳されたのです。
苦難の末出来た解体新書と、ターヘルアナトミアの初版本が、なんとこの青柳家だけにあるのです。

「解体新書」の挿絵を担当したのが、角館の武士小田野直武26歳です。
この小田野直武は、絵に才能があり、秋田に来ていた平賀源内に絵を習ったのです。
この出会いが運命的です。
1773年に秋田藩が、鉱山師の平 賀源内を秋田に招き,領内 の阿仁銅山の検分・増産を計るために調査を依頼しています。
平賀源内は、秋田に来る途中,支藩の角館で御用商人・五井屋孫左衛門宅に泊まります。
その時、素敵な襖絵を見て、「これを描いたのは誰?」とたずねました。
そして、呼ばれたのが武士で絵師の小田野直武。
源内は直武に、「鏡餅を真上 から見た絵を描いてみてくれ」と言います。
直武はおそらく、丸を重ねた絵を描いたと思われますが、源内は、西洋画 の基本である遠近、影のつけ方を教えたのです。
直武は、当時の秋田藩主の曙山と共に日本画を習いましたが、平賀源内に西洋画の基本を教わったのです。
源内は、秋田藩から依頼された仕事、阿仁銅山の検分に、直武も連れて行きます。

杉田玄白と平賀源内は友達なので、紹介があったかもしれません。

青柳家に残る「解体新書」は、小野田直武の遺品となりました。
直武は秋田蘭画を築き、いた人でもあり、31歳で不審な死を遂げました。
なお、小田野直武を生んだ小田野家もまた近所にあります。
小田野家と青柳家は親せきです。


【2017.08.07 Monday 16:04】 author : いづな薫 
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角館 岩橋家


佐竹北家に仕えた上級武士の館、岩橋家です。
明治33年の大火で角館は262軒の屋敷を焼失してしまいます。
幸運にも残ったのが、この岩橋家です。
明治30年に、岩橋家は茅葺から木羽葺き(こばぶき)に屋根をふき替えました。
木羽葺き(こばぶき)とは屋根を木材の板で葺くことです。
これが、火災を防いだと言われています。
これをもって、以後木羽葺き(こばぶき)の家が主流になりました。
『たそがれ清兵衛』のロケ地になったのが、この岩橋家です。

秋田県内でも非常に珍しい柏の巨木が立っています。樹齢300年。



【2017.08.05 Saturday 16:06】 author : いづな薫 
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角館 石黒家



佐竹本家の分家である佐竹北家に長く仕え、財政関係の役職についていた家柄です。

長く続いた黒い塀と、茅葺の母屋があります。
正玄関と脇玄関を備えた武家の格式の高さが伺える屋敷でした。
現存する角館の武家屋敷の中では一番の格式を誇ります。
築200年、江戸時代文化文政の頃の建物です。


玄関が、身分により使い分けられいくつもあります。

表玄関から真っ直ぐ先にある表玄関は、当主よりも身分の高い人が訪ねて来た時使います。


庭が広く、大きなグミの木があります。



【2017.08.03 Thursday 16:04】 author : いづな薫 
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角館 西宮家




角館の武家屋敷、西宮家です。


西宮氏は1602年(慶長7年)、秋田に佐竹氏の家臣として移ってまいりました。
殿様である佐竹氏が、関ヶ原の戦いで徳川に味方しなかったため、常陸から秋田へ国替えになったのです。

角館を当初まかされたのは、佐竹氏の一門の芦名氏です。
当時の城下町は田沢湖町神代にありました。
しかし、水害や火災に見舞われた上、狭いので新たな街が必要となり、作られたのが、現在の角館です。
現在の角館田町にあるのが西宮家です。
ここに暮らした武士団は80家ほどでした。


角館を直接支配する芦名氏や佐竹北家とは、別の秋田佐竹本家の直臣たちでした。
その中心にいたのが西宮織部という人物で、この家の当主です。


黒塗りの壁と、自家用人力車が往時を偲ばせます。


二階に上がると、生活雑貨、食器、人形などが残されていました。


西宮家の門です。商家になったこともありますが門は武家の冠木門(かぶきもん)ですね。



【2017.08.01 Tuesday 16:00】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、サッカー日本代表、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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