大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
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戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
京のかたな 来派その2


来国俊の子供や門人たち

来派の巨匠、来国俊の門人たちを見て行きたいと思います。

まず、来光包(らいみつかね)
言い伝えに、比叡山延暦寺の根本中堂にこもり祈願して作刀したとあり、「中堂来」の呼び名があります。
太刀は、未だ見つかっておらず、短刀では伊達藩、徳川家、福井松平家に伝来したものがあります。
今回、「京のかたな」で展示されたものは、伊達家伝来の光包(みつかね)です。
光包(みつかね)は異色の刀工で、来国俊に師事する前は、長船長光に刀を習ったと言われます。
現に、伊達家や松平家伝来の刀は来派ににて直刃であるのに対し、徳川家伝来のは長光や景光に似た乱れ刃です。


了戒(りょうかい)
来国俊の17歳の時の子。若いとーちゃんだな。
了戒がお坊さんみたいな名前なのは、出家しているからです。
太刀も短刀も作風が、父親の来国俊(三字銘)にとても似ています。
小板目、柾目心が交じり、白気(しらけ)のような映りが見えます。
典雅で美しい直刀も、小丸に返る帽子も父来国俊をほうふつとさせます。


来国次(らいくにつぐ)
鎌倉時代以降、お世継ぎが生まれると刀を献上するのが武家の習わしでした。
その刀に選ばれるのが、これ来国次(らいくにつぐ)です。
守り刀と言うだけでなく、「国を継ぐ」と言う意味合いがあります。
来国俊の弟子です。
鎌倉時代末期の名工です。

太刀は少なく、短刀、小脇差が比較的現存しています。
世継ぎに献上された刀も、短刀が多いです。

地刃の沸(にえ)が厚くつき、地景が現れ、刃文は直刃小乱れが交じり、足、葉盛んに入ります。
相州伝の特徴を表しています。
相州の正宗十哲の一人に数えられ、「鎌倉来」の称号があり来の中では一段高い評価があります。
正宗十哲とは、山城から来国次と長谷部国重、美濃から兼氏と金重、越中から義弘と則重、石見から直綱、備前から 兼光と長義が鎌倉の正宗の元にやって来て師事したとなっています。
しかし、元寇と言う未曽有の大事件の後に、各地から名工たちが実際にやって来るのはちょっと無理があります。

元軍の柔らかい革鎧と闘える刀を作るため、各地の刀工たちが、みな研究した結果出来た刀が、高温焼き入れに沸(にえ)出来の刀だったのかもしれません。

【2018.11.05 Monday 20:27】 author : いづな薫 
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京のかたな 来派その1


京のかたな展に行って参りました。

京のかたなと言えば、「来派」でしょう。
鎌倉時代初期〜後期に渡り、京で栄えていたのは粟田口派です。
粟田口派に代わり出て来たのが、来派です。
渡来人系の刀工たちと言われてきましたが、近年の研究では確たる証拠が乏しく、研究が待たれる所です。
鎌倉時代中〜後期から南北朝時代にかけて、発展しました。

来派の祖は、国吉と言います。
国吉の孫が著名な、国俊です。
「国俊」と、二字銘に切る場合を「二字国俊」と呼びます。
また、三字銘「来国俊」と切ることも有ります。
昔から、これは同じ人物だ、いや違う人物だと論争がされています。
作風も違います。

前者の「二字国俊」は、身幅が広く、猪首切先(いくびきっさき)で備前一文字のような丁子刃を焼く堂々たる姿です。
一方、「来国俊」は細身で繊細な太刀姿で、刃文も直刃か小さく乱れるものです。
来国俊は、見た目が総じて優美なのです。
短刀だと、まっすぐな体配で非常に洗練されていてエレガントです。
確かに別人説が生まれて来そうな出来なのです。

ただ、長船長光なども人生の前半後半では作風が変わってきており、時代のニーズに合わせて作風を変えたという説も撮れるのです。
時代のニーズとは何か。

時は鎌倉時代です。
元寇がやって来たのです。
元の兵士たちは、革の鎧を着ています。
それまでの日本刀は、固い大鎧と戦うためのものでした。
元軍の鎧は柔らかい革で出来ています。
これまでの日本刀は、幅広、猪首切先(いくびきっさき)で、刃の断面図は蛤刃(はまぐりば)と言われる丸みを帯びた豪壮な形をしています。 これでは、元軍の革鎧は切れないのです。
刀の技術革新が必要になりました。
元寇直後以降の太刀は、身幅尋常、切先が尋常か細くなるかし、刃も薄くなってきます。
これまでの高低差の目立つ丁子刃は無くなって行きます。
まっすぐとした直刃か、小互の目(こぐのめ)交じりや、直刃に足入りのものが俄然増えて行きます。

革新に成功したのは、相州の正宗です。
正宗の技術は、全国に伝播していきます。

元寇は、日本刀を一変させた事件であったのです。

その2につづく。

【2018.11.03 Saturday 17:03】 author : いづな薫 
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京のかたな 吉光
京のかたな展に行って参りました。

京都ゆかりの刀、刀工の作品を183振りも集めた大規模な展示会です。

お客さんの、9割以上は女性です。
刀は、そのうち女性の趣味と言われるようになるでしょうね。
かつて、男性の武士のたしなみであった茶道が今女性が多いのと同じにです。

まず、粟田口藤四郎吉光。
粟田口は、京に入る口の粟田口に住んでいたからです。粟田口派と呼ばれます。
粟田口は、京の町のはずれ、街道の出入り口にあたり、で、古くから刀工たちが移り住んだ土地です。

粟田口吉光は、短刀の名手で、名工中の名工です。
同じく刀工の左兵衛尉国吉の子とも弟子とも伝えられます。
国吉は、号「鳴狐」の作者ね。

吉光の刀は、身幅尋常、輪反り風の中切先、地沸(じにえ)厚くつき、明るく冴えます。これだけでもかなりの名刀だと思ってください。
二十刃もあり、浅くのたれて帽子は小丸に返ります。

吉光は、江戸時代、「天下三作の筆頭」に挙げられます。
後の2作は、正宗と郷義弘です。
正宗は、刀の代名詞とも言われるあの正宗です。
いかに吉光がすごいお分かりいただけるかと思います。

江戸時代、徳川吉宗の時代に、「享保名物帳」と言う、名刀のリストが作られます。
その中に、続に言う「名物」と呼ばれる名刀が載っています。 多くは大名家に秘蔵品でした。

この享保名物帳の中に、吉光は16振り掲載されています。
享保名物帳の中には、「焼失の部」と言う項目があり、本能寺の変や大坂の陣、明暦の大火で焼失して無くなってしまった物があります。 
この焼失した物のうち、18振りが吉光でした。

数々の受難を経た現在でも、吉光の名刀は現存しているものもかなりあります。

上杉謙信が、正親町(おおぎまち)天皇から下賜された「五虎退」や、包丁藤四郎、後藤藤四郎、平野藤四郎、鯰尾藤四郎、秋田藤四郎などがあります。


【2018.11.01 Thursday 17:00】 author : いづな薫 
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京都醍醐寺展


東京六本木のサントリー美術館で、「京都醍醐寺 真言密教の宇宙」展を見て参りました。

醍醐寺は、京都の東南部山科盆地にあります。
貞観16年(874年)に理源大師聖宝(しょうぼう)によって開山されました。
聖宝と言うお坊さんは、空海の弟の弟子にあたります。
醍醐寺は、真言宗醍醐派総本山になります。
真言密教のうちでも、加持祈祷や修法など実践的な修行を重んじるお寺として有名です。

足利尊氏、足利義満、豊臣秀吉など、時代の時の権力者から帰依を受けて参りました。
その文書は7万点近くあります。

秀吉が最晩年、醍醐で花見を開催したことも有名です。
醍醐寺は、下醍醐、中醍醐、上醍醐と山に向かって下から延びる広大な敷地があります。
晩年、体調も芳しくなかった秀吉ですが、伏見から来て、上醍醐まで行って花見をしています。
秀頼、前田利家、小早川秀家などの歌が書かれた短冊の展示もありました。

京都の醍醐寺へは何度も出かけていますが、寺宝を見る機会は多くないので、今回の展示は良かったです。

【2018.10.30 Tuesday 15:34】 author : いづな薫 
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サッカーの話


サッカーの話を書く。
私はサッカーファンである。
日韓W杯の頃は、スタジアムにも足を運び日本代表も盛んに応援していたが、
ドイツのファンでもある。
で、そのそのドイツチームのことを書く。

2014年のW杯優勝が、このドイツチームである。
当時はメッシやロナウドの全盛時代だが、そう言うスター選手も特にないのに、手堅くとにかく強かった。
ドイツに死角なしとも言われた。

そのドイツが、今や冬の時代である。
当時強かったスペインもオランダも芳しくないが。
2018年年月のFIFAランキングまでは1位で、今年のW杯も優勝候補に挙げられていた。
私も、ドイツかフランス、ブラジル、ベルギーのいずれかが優勝するのではないかと思った。
フランスは優勝したが、驚いたのはドイツ。
ドイツが、グループリーグ敗退してしまったのである。

ドイツ初のW杯グループステージ敗退…。
今年10月、ドイツ代表は、 UEFA(欧州サッカー連盟)ネーションズリーグでオランダに負けた後、レーブ監督は、朗らかにインタビューに答えていたが、 その後、対戦予定だったのは王者フランスである。

※UEFAネーションズリーグと言うのは、UEFA(欧州サッカー連盟)加盟国の大会である。
(余談だが、今年日本代表監督候補を決める時、ドイツ人のクリンスマン氏と言う監督の名が挙がったが、彼はレーブの先生である。)

そのフランスに負けた。王者フランスに。

11月16日に対ロシア、20日に対オランダがある。

ドイツのレーブ監督は、危機的状況にも希望を捨てていないようだが、これに敗れるとなるとまさに一大事。

レーブ解任論ももちろん出ているが、解任しても後釜どうするかって言う問題がある。
15人ほど候補がいるが、ドイツで大人気のユルゲン・クロップ監督は現在グのイングランドプレミアリーグのリヴァプールFCの監督である。
フランスのジダンや、元ドイツ代表のクローゼなんかも名も挙がるけどこれはない。
レアルマドリード監督を今春まで務めたジダンの声も上がるが、彼はドイツ語を話さない。
クローゼの名が挙がるのは何かの間違いか。
監督になるには、それだけの戦略知識も勉学も必要。
著名選手は選手時代が長いため、監督としてのスタートはそれだけ遅れることになる。

監督解任しても、あんまり変わらないと思うけどな。
選手が変わらないのだし。
私はレーブの戦略ファンなので、辞めてほしくない。
サッカーは、勝ち癖がつくと勝つし、負け癖がつけば負ける。
本番になると、しぶとく勝って来たドイツチームだから、挽回して欲しいと思っている。

ヨーロッパ各国の対抗試合は、ともすればW杯以上にレベルが高い。
現在FIFAランク50位の日本にとっては、およそ雲の上の話。

【2018.10.28 Sunday 14:02】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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