大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 上杉謙信 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
またまたやって参りました、越後。

出張で越後入りしました、いづなです。
豪雪地帯なのに、あまり雪ないです。
写真のお屋形さまも雪を被っていません。
東京でも6cm積雪したのですが。

泊まるホテルは定宿なのですが、今回今まで泊まったことのないお部屋で、何だかすごく乙女チックだぞ。笑
巨大鏡まであるし。
「鏡よ鏡よ、世界で一番〜」なんてセリフが出てきそう。爆

合理的に出来ている私には、何だか照れる部屋です。


乙女すぎて、何に使うのかわからない物体。↓笑「(゚ペ)

【2016.01.21 Thursday 14:34】 author : いづな薫 
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御家訓


いづな、仕事その他があまりに忙しいので、しばらく戦国カフェ更新を不定期にします。
でも、時々書くかもしれません。
皆さま、お体にお気をつけてお過ごし下さいね。
ではまた。
上の絵は、かつて描いてフォルダにしまってあった一枚です。

 

【2015.10.11 Sunday 11:41】 author : いづな薫 
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謙信公太陽暦ご命日 第一義



今日は、お屋形さまの太陽暦ご命日なのでお屋形さまのお話。
テーマは、謙信公の座右の銘「第一義」。

実は、先日、知人のO様からご連絡いただき「第一義」について熱心な会話になった。
どうして、その会話をしなければならなかったか確認を取っていないので今は伏せる
よろしければ、O様ご連絡下さい。


第一義(だいいちぎ)は、ブッダ(釈迦)の言葉である。
仏教の開祖、ブッダが悟った万物の真理のことである。

仏教の教えの中でも、謙信公は特に禅の教えを重視した。
信義に厚い謙信公の生き方も、第一義の言葉も仏教思想から生まれたものである。


謙信公が、不識庵(ふしきあん)を名乗るきっかけとなった、益翁宗謙(やくおうしゅうけん)との禅問答が有名である。
謙信公の人生を考える時、強烈な仏教思想への憧れと、大変高い教養を抜きにしては語れない。
まるで、哲学者のようである。


人を助けて軍事行動を起こすと言う思想も、犠牲を強いることをいさめたのも益翁宗謙(やくおうしゅうけん)である。
彼は、林泉寺の高僧で、謙信公の子供時代の先生であった天室光育(てんしつこういく)の高弟であった。
天室光育(てんしつこういく)と益翁宗謙(やくおうしゅうけん)は、当時最高の知識人である。
このふたりが教育にあたったということは、上杉謙信と言う人物を考える上で非常に重要である。
謙信公自身も、長じて日本で五指に入るくらいの高僧になっている。

上越林泉寺の「第一義」の額があり、謙信公の文字の本物が宝物館にある。
(山門上のは複製)

第一義の考えを、謙信公は、益翁宗謙(やくおうしゅうけん)との禅問答によって導き出している。
益翁宗謙(やくおうしゅうけん)の諫言(かんげん)を受け入れ、尊敬し、その名から一字授かり、謙信と名乗った。

謙信公と宗謙和尚が行った禅問答のテーマとは、「達磨大師(だるまだいし)と武帝の問答」である

達磨大師(だるまだいし)は、だるまさんのモデルである。
5世紀頃、インドに生まれ、中国で禅を布教したと言われる僧である。
武帝(ぶてい)は、梁(りょう 古代中国の国名)の皇帝で、仏教の熱心な信者だった。


武帝は、達磨大師に聞いた。

「私は、大寺院を建てたりお坊さんをたくさん養成した。これってどんな素晴らしい見返りがあるのか?」

大師は、「何にも、ないね。」

武帝、「では、仏教の根本の教えとは何なのだ?!」

大師は、「不識(ふしき)。」
不識とは、書物などで得た知識でなく、偏見を捨て、仏とともに生きる時悟りが開ける。との意味である。


達磨大師は、自分の徳を自慢する武帝を嫌ったのである。
その後、大師は魏(ぎ これも古代中国の国名)嵩山(すうざん)少林寺に籠もってしまった。


16世紀の日本で、達磨大師と武帝の問答を題材に、今度は謙信公と林泉寺の益翁宗謙(やくおうしゅうけん)和尚が「不識(ふしき)」について問答を交わす。

宗謙は、「達磨大師(だるまだいし)の言う、”不識”とは何か?!」と謙信公を問い詰めた。

しかし、若い謙信公には満足の行く答えが出せない。
謙信公は、修行をしながら”不識”について数ヶ月も考え続けたと言う。
そして、あっとひらめき和尚のもとに行った。

宗謙和尚は、越後で絶大な権力を持つ謙信公と武帝を重ねていたのである。
為政者が、民にあれもこれもしてやったと考えるのは恩着せがましい。

民あっての国であり、為政者である。
為政者は、民のためにある。

そう、宗謙は考え、謙信公に厳しく禅問答を仕掛けたのである。
聡明な謙信公も、宗謙の考えを早々と察知する。
そして、林泉寺の山門の額に、”仏教の究極真理、一番大切なもの”「第一義」の大書を掲げたのである。

達磨大師が言った「不識」にちなみ、謙信公は不識庵(ふしきあん)と後年名乗る。


謙信公が第一義とした、”万物の真理”とは何か。
この世は、苦難や煩悩がたくさんあり人々を苦しめる。
この世は無常に移り変わるので、(よけい苦しむので)何かに束縛されてはいけない、と言うことではないかと思う。

越後では、諸将間における土地争いがかなりあり、謙信公を悩ませていた。
解決方法のひとつに、謙信公は仏教の中に答えを見い出すのである。

ブッダは、土地やお金が欲しいとか、”欲や執着”が、人々の苦悩の原因だと考えた。
だから、欲、執着から放たれれば、苦悩もなくなる。

第一義(万物の真理、普遍的にだいじなこと)は、”何物にもとらわれない生き方”と考えることができる。

では、具体的に何をしたら苦悩から解き放たれるか?

それが、八正道(はっしょうどう)である。
謙信公の十六ヵ条の御家訓は、この八正道(はっしょうどう)によく似ている。

八正道(はっしょうどう)とは、釈迦が示した苦しみを滅するための実践方法である。
正しい生活、正しい見解、正しい行い、正しい記憶、正しい努力、正しい注意、正しい言葉、正しい考え、である。


ただ、仏教だけでは生活は豊かにならず結局争う。
そこで、謙信公は自らトップセールスマンになり、畿内で、青苧(あおそ、繊維)の販売拡大に成功している。
青苧は、越後に巨万の富をもたらし、越後経済は大いに発展したのである。

時代劇で、豪商の名前が「越後屋さん」なのも、それにちなむ。
頭のいい人でも、考えると実際やるのでは大違い。
実際に成功させてしまう謙信公は、450年前の政治家である。
いやはや、本当にすごい人である。


出来なければ、想定外と言い訳をする今の日本政治家ども。
現代日本は上に行くほど、バカばかりである。
数ヶ月もかかって、不識の答えを導き出した謙信公。
国民は国民で、情報だけはたくさんあるので知った気になっている。
深く考えないし、危機感も関心もなさすぎる。

【2015.04.29 Wednesday 20:31】 author : いづな薫 
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お屋形さまの誕生日


中東で大きな事件が起きているので、昨日は書けませんでしたが、
昨日1月21日は、わがお屋形さまのお誕生日。
485年前に、越後春日山城でお生まれになりました。
写真は、私が作った水晶玉のストラップ。
八犬伝みたいですが、水晶玉に浮き出た文字は”毘”です。

【2015.01.22 Thursday 16:41】 author : いづな薫 
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上杉会


ここ毎月のように開催している、上杉会の模様です。
謙信公ファンのリアル友達の会です。
素敵な異業種交流会になっていて、昨今の安倍政権、原発、中東問題から、世界経済、税制と話題は多岐に及びます。
今回の場所は、築地で。
お寿司、美味しかったです。
お土産いただきまして、皆様ありがとうございます。
 

【2014.10.07 Tuesday 11:44】 author : いづな薫 
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上杉軍のためのハンドメイド
宅配を受け取る時の印鑑入れか、アクセサリーケースにしようと思い制作した小箱。10cm角くらいです。
材料は、いらなくなったネクタイ生地。
正絹なので、リメイクしないともったいないです。
厚紙で箱を作り、生地を貼りこみました。
赤紫の裏地をあえて箱の表に貼り「懸かり乱れ龍」の文字を手書きしています。
表地は側面と中に貼ったカルトナージュ作品。


【2014.06.05 Thursday 20:31】 author : いづな薫 
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上杉会


昨夜東京で、謙信公ファンの方たちと上杉会を楽しみました。
参陣したのは、義太郎さん、かめこさん、えりっちょさん、いづな。
食事しながら、謙信公話から、原発問題、安全保障、安倍首相と議題は多岐に渡り、4時間半大いに盛り上がりました。

いただいたお土産各種。
料理好きの私にはうってつけのだしパック。
謙信公靴下…、履くのは恐れ多い気がいたしまする。
皆様、本当にありがとうございます。


こちらは私が、メンバーに贈った上杉軍専用携帯ケース。

亀好きかめこさんのため亀の絵を描きました。


 

【2014.04.20 Sunday 14:07】 author : いづな薫 
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上杉軍専用マカロンポーチ

「懸かり乱れ龍」の刺繍をして、何か小物でも作るかなと思い立ってできた品。
一眼レフカメラのキャップケースや、イヤフォンケースにぴったりです。

この形は、お菓子のマカロンに似ているので、マカロンケースと呼びます。
手芸品サイトなどには、小銭入れなど小型のマカロンケースが載っていて、手芸品店で売っているくるみボタンの土台を用意と書いてあります。
くるみボタン利用の小銭入れだと、直径が3.5cm程度。
「懸かり乱れ龍」の文字が小さくなってしまうので、即却下。

厚紙にコンパスで、円を書けばどんな大きさも自在に作れます。簡単です。
円の半径は、チャックの長さが円周なので、「2× π(パイ)×r=円周」で割り出せます。

土台の白銀の布は正絹ネクタイのリメイク。
お屋形さまがお召しになった、萌黄(黄緑)の胴肩衣をイメージして刺繍しました。



【2014.04.09 Wednesday 10:10】 author : いづな薫 
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干支飾り 馬のぬいぐるみ



じゃ〜ん、来年の干支・馬のぬいぐるみを作りました。

馬と言ったら、我ら上杉会は”放生月毛”(ほうしょうつきげ)です。

昨年はへびを作りましたが、筒状の袋を作るだけのへびと違い馬は難しいです。
謙信公祭の写真やお屋形さま写真集「龍の化身」を見ながら、名馬・放生月毛をどう立体で表現するか思案。

型紙を描き、ネル生地を裁断して組み立て縫い詰めながら馬の形にしました。
放生月毛に似合う白い馬具や、実際謙信公がお屋形さまになった証の緋色の”毛氈鞍覆”(もうせんくらおおい)も意匠で再現。
太刀はもちろん小豆長光、上杉会義太郎さまからいただいたミニレプリカです。
太刀台は、いづなが竹で作り色を塗りました。笑
単に手芸目的で当ページをご覧になった方には、意味不明な内容になってしまいました。笑
材料は、すべて家にあるもので作りました。
放生月毛の身体は、コーヒードリップ用ネル生地、馬具の房は、引き出物の組み紐です。

「おや、こんな所に”余”の馬がおる。」と、お屋形さま降臨して下さらないかしら。ハート
 

【2013.12.03 Tuesday 08:52】 author : いづな薫 
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大河ドラマ 「天と地と」
NHKでアンコール放送していた、大河ドラマ「天と地と」川中島の章を見た。
創作物の感想なので、さらりと書きたい。
 
この年から大河がカラー作品になり、武将の甲冑がカラフルで綺麗に映ったことが解説されていた。
青白い練り絹に頭を包んだ謙信に、赤い甲冑、赤い法衣の信玄、確かにビジュアル的に綺麗だ。
謙信はもとより、信玄も大変上品。
昔の大河は、セリフが少ない印象を受けた。
そして、当然CGがなくシンプルだけど造りが重厚。
今は、画面は凝っているけれど軽い感じは否めない。
40年くらい前の作品なので、当時を私は知る由もないが、今回放送の川中島の章以外の回もあれば見てみたい気がする。
カラーフィルムが貴重だったので、ないのかな。
高度成長真っ只中の作品で、右肩上がりの世相の中で、謙信公がどのように描かれたのか興味はある。
原作の海音寺潮五郎の「天と地と」は読んだが、今回の川中島の章でも分かるように、脚本でだいぶ変えているようだ。
女性武者松江が、信玄弟信繁の遺言を聞いている時に、殺されてしまったり、謙信の義理の兄長尾政景が戦死などが加えられている。
 
冒頭テーマ曲に流れる、琵琶の音が良い。
お屋形さまが弾いているような気分になる。
琵琶の音色と”毘の旗”のオープニング、素敵すぎてクラクラする。笑
米沢に現存する、謙信公愛用の琵琶「朝嵐」も目に浮かぶ。
ありがたいことに、今でも音が出そうなくらい保存状態が良い。
 
お屋形さまの愛馬、放生月毛が紫の馬具ともに綺麗に表現されている。
来年の干支、お正月の馬の飾りは、放生月毛をモデルに制作しようかともくろんでいる。笑

【2013.10.24 Thursday 14:32】 author : いづな薫 
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時事問題、歴史、環境、料理、サッカー日本代表、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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