大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 刀剣 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
名刀工・天田昭次氏ご逝去
天田氏は、昭和2年に新潟県本田村(現、新発田市)に刀匠天田貞吉氏の長男として生まれる。
小学校卒業と同時に、刀剣界の最高実力者栗原彦三郎師の日本刀鍛錬伝習所に入門。
伝習所は栗原氏の自宅敷地内にあり、場所は東京都港区赤坂氷川町である。実はここ勝海舟邸跡。
私は、パンを買うためこのあたりを歩くが勝海舟邸址、乃木希典邸、高橋是清邸址などがあり楽しい。

天田氏は7年間修行の後、
昭和26年、サンフランシスコ講和条約記念刀を作刀第一号として製作。
当時、戦後中断していた刀鍛冶を復活させようと運動が起きる。
主催者は、天田氏の師匠でもあった栗原彦三郎氏。刀匠でありジャーナリストであり、元衆議院議員でもあった。
GHQの要人に刀剣が贈られ、その美術品としての価値を見出させようとする。
そして、サンフランシスコ条約締結を記念して、日本刀300振りを製作が計画されるが、栗原氏が亡くなり途中で頓挫する。

昭和30年第1回作刀技術発表会に出品し、優秀賞。
その後、天田氏は現状の作刀に疑問を感じ、自家製鉄の研究に入る。

700年も前の「相州正宗」再現に成功する。
700年前、鎌倉・南北朝時代の刀剣とは実益と芸術性を兼ね備えた、豪壮な刀剣である。
天田氏は鎌倉時代後期の相州伝の伝承に努め、刃文や移りに研究を重ね地鉄の重要性を確認する。
自家製鉄による鉄を用い優れた地鉄作りに努力した。

以後、刀剣界の最高賞、正宗賞を3度も受け、平成7年には人間国宝に指定された名工である。

当ブログ読者さまたちは刀剣愛好家が多く、天田先生のお仕事場にご実家が近い方までいらっしゃいます。
皆様と共に、ご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

【2013.06.27 Thursday 19:36】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
大包平(おおかねひら)

日本刀の最高傑作、大包平(おおかねひら)が公開中なので、東京国立博物館で見て来た。
奇跡のような名品である。
作者は備前国の名刀工、包平(かねひら)。平安時代12世紀、国宝。

包平に”大”が付くのは、大きいからと言う意味と、比類なき偉大な作品との意味もある。
長さ89.2cm 反り3.4cm 元幅3.7cm 先幅2.5cm 茎(なかご)の長さ23.3cm
元重ねが0.75cmと比較的薄いことから、これだけ長大な太刀でありながら軽い。
鎬造り(しのぎづくり)が高く踏ん張りがある。
切先は締まり、見事なまでの猪首となっている。
小板目肌がつみ、地沸(じにえ)つき、地景(ちけい)しきりに交じる。
刀文は小乱れに足、葉(よう)入り、小沸(こにえ)つき、金筋入る。

備前池田家に伝わったが、1967年、当時の文部省が6500万円で買い上げた。
大包平も、名刀の産地、備前で生まれた。
大包平の周りには、見学する方がいっぱい。
うっとりと、長時間眺め続けている若者も。
価値を分かる方が沢山いらして、嬉しい限りである。

800年以上前に作刀されたが、今も魅入られてしまいそうな輝きを放っている。


通常、包平の作品は「包平」と二文字を切るが、この作品は、「備前国包平作」の銘が堂々と刻まれています。
歴史に残る、会心の一振り。


こちらは、上杉謙信公の太刀。
黒韋包金桐紋糸巻太刀(くろかわづつみきんきりもんのいとまきのたち) 


豪壮華麗な太刀である。
お屋形さま好みの平巻き、紫糸と打刀用であったらしき古鍔(こつば)に分厚く金を載せている。
現在刀身はなく、拵えが重要文化財。
総長102.7cm。
目貫、縁、大切羽はなんと純金、その他の金具も厚く金がほどこしてある。大変重量感がある拵えである。
この豪華な拵えは黄金太刀といわれる品であり、将軍しか佩用が許されなかった。
もしかしたら、将軍家から贈られたのかもしれない。


前にもご紹介したが、輝虎(謙信公)永禄8年(1556)安房の里見氏に宛てた書状。
里美氏の重臣正木時忠が北条氏に寝返る。
上杉氏は北条氏と敵対しているため、里美氏救援に自ら出陣すると告げている。
実際次の年、謙信公は里美氏救援のため安房に向かっている。


千利休作、竹一重切花入(たけいちじゅうきりはないれ) 銘 園城寺
1590年秀吉の小田原遠征の際、製作された品と言われる。
江戸時代の茶人として名高い、松江藩7代藩主松平不昧(ふまい)に伝えられた。


博物館を出て来たら、なっなんと、龍と毘の旗がはためいている。
むむむ・・・ここは21世紀、東京(上野)のはず。
上野公園で、長岡・佐渡フェアでした。

本物の刀鍛冶を実践中。

栃尾のあぶらげんしん君も登場。あぶらげですが、刀と龍と毘の旗指物が付属している。草履はいているし。
私は、新潟特産のいり豆、イカなどを買い物いたし候。

【2013.05.19 Sunday 16:47】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
塚原卜伝感想 最終回
 「塚原卜伝」が終わってしまった。
主君鹿島氏のもとで、勢力を拡大する玉造常陸之介を、「言葉に理がある、しかし義がない。信義がなければ人は付いて来ぬ。」と分析する塚原新右衛門。
彼は、群雄割拠の戦国時代にあって、剣術修行、神に仕え、義に生きる。

将軍や有力大名のもとで剣術を教えることにより、世の中の流れにも敏く、中央政治とも係わっている。
これ、時代物ドラマとして大事。
八重の桜は、主人公が女性であり政治に係わるのが難しく、かつドラマ舞台が今の所、都から遠い。
主人公より、周りの政治動静の方が面白い。

塚原新右衛門の先生、松本備前守が良い。
松本備前守は、新右衛門の実父・卜部覚賢(うらべあきかた)と、城主鹿島氏の隠居を促すクーデターを計画する。
それを、打ち明けられた新右衛門は、クーデターに反対する。
しかし、剣の師匠松本備前守は「計画を知って反対し、鹿島を出られると思うか。」と言う。
備前守は、愛弟子を我が手にかける事を決断する。
師・松本備前守と塚原新右衛門の立ち合いとなる。
一瞬の隙もない備前守だが、勝負は弟子の新右衛門が勝った。

松本備前守は、師を越えるほど成長した新右衛門を褒め、鹿島の剣を広めるため「鹿島を出でよ。」と言う。
元服したばかりの若き日、修行に出たいと言う新右衛門を、松本備前守は周囲の反対の中、”同じ言葉”で後押ししてくれた。
卜伝には、実父と養父のふたりの父がいるが、3人目の父とも言える人物である。

「鹿島は戦になるかもしれないが、巻き込まれてはならぬ。旅先で異変を聞いてもけっして戻って来てはならぬ。」と、
松本備前守は新右衛門を諭す。
 新右衛門は、神官でもあり亀の甲羅を焼いて占う「亀卜・きぼく」から名を取って、「卜伝」と名を改める。
松本備前守は2年後の戦で戦死するが、卜伝となった新右衛門は言いつけ通り帰国はしなかった。

神に仕える塚原卜伝と真尋(まひろ)兄妹。兄を行く末を占い支え続ける妹、真尋(まひろ)。
真尋の子役時代が餡ぱんみたいで可愛い。笑)
厳しい修行と家族の慈しみのある、人間関係が良かった。

強きものこそ、高潔な精神が必要である。
そう、再認識させていただいた作品である。

【2013.03.08 Friday 08:49】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(0) | trackbacks(0)|
塚原卜伝の団子


塚原新右衛門(卜伝)が、ドラマ中お団子を良く食べている。剣聖の好物か?
私も食べたくなり、今日は代休なので買って来たけれど全部食べてしまう。
足りず自分で作った、”串なし”みたらしだんご。20個分くらいある。笑
で、原作を読んでいる。どれだけはまっているのよ。笑
もうすぐ始まるし〜。

【2013.02.21 Thursday 19:30】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(0) | trackbacks(0)|
塚原卜伝
 刀剣が好きなのでNHKドラマ「塚原卜伝」を見出したが、すっかりはまった。
剣聖・塚原卜伝の若き日の話である。
いつもにこにこして癒し系の見た目だが、正義感が強く、物凄く腕が立つ。
39度の試合、19度の真剣勝負に挑みながら、1度も怪我をしたことがない。負けたら死んでしまうし。
立会いで斬った相手は212人。
いつ頃の人かというと、1489年生まれ1571年に83歳で逝去。体の丈夫な人だったのだろう。
ドラマでは室町10代将軍足利義尹(あしかがよしただ)が出て来ている。

塚原卜伝は、常陸国(茨城県)鹿島神宮の神官鹿島氏の4家老の1人卜部覚賢(うらべあきかた)の子として
生まれた。
後に、やはり4家老の1人で、子供のいない塚原安幹の養子になる。
卜伝は、実父からは鹿島古流(鹿島中古流とも)、義父からは天真正伝香取神道流をそれぞれ学んだ。

神仏に仕え、剣の達人、仲良し姉妹がいる(ドラマ中)、正義感の強さ、慈悲深く、生涯怪我ひとつ負わなかったこと。
塚原卜伝、我がお屋形さまと似た要素がある。笑

人間の脳には”前部帯状回”と言う部位がある。
前部帯状回は正義感や倫理観、信心深さが関係していることが研究で分かって来た。
正義感、倫理観が強い人は、信心深い傾向がある。

物語は、塚原新右衛門(卜伝)が元服する所から始まる。
元服の席で殿様に、「何か望みはあるか」と問われ「武者修行に出たい」と言う。
跡継ぎにともらった塚原家は大いに困るのだが、新右衛門の剣の師である松本備前守が「鹿島をいでよ。」後押ししてくれる。
この松本備前守が、鬼神のようで良い。

伊勢宗瑞(北条早雲)が登場したり、出ては来ないが越後では謙信パパ(謙信公はまだ生まれていない)が暴れている情報が入ったり。笑

塚原卜伝は、「甲陽軍艦」にも出て来る。
兵法の達人として、山本勘助と共に上げられている。

甲陽軍艦には、面白い話が載っている。
琵琶湖を行く船の中、若い剣士と乗り合いになった卜伝。
若者は相手が卜伝と知り、決闘を挑んで来る。
卜伝はのらりくらりと相手にしない。
それに腹を立てた若者が卜伝を罵倒する。
卜伝は他の船客に遠慮し、近場の小島にて決闘をしようと言う。
小船で小島に漕いで行くと、若者は船着場を待ちきれず、水深が浅くなった所で船を降り水の中を徒歩で行く。
卜伝は、船の向きをくるりと変え、一人船に乗って帰ってしまう。
「戦わずして勝つ。これが無手勝流だ」と高笑いしたと言う。無手勝流とは、戦わず策略で相手に勝つことである。

小童(こわっぱ)のうちから、とんでもなく腕の立つ塚原卜伝、高潔な精神があればこそ彼を”剣聖”にさせた。
名刀が名将を好むと言うが、名流派も名将を好む。

明日木曜日に第5回があるので、ご興味のある方はご覧下さい。
セリフが八重の桜と似ているなと思ったら脚本家が同じ。八重より面白い。笑

【2013.02.20 Wednesday 14:50】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(4) | trackbacks(0)|
長船光忠

東京国立博物館に現在展示中の刀、長船光忠(おさふねみつただ)
金象嵌銘光忠本阿(花押)

刃長 69.4cm 反り2.1cm
鎌倉時代 13世紀
重要文化財
徳川将軍家に伝来
 
光忠は鎌倉時代中期の備前長船派の刀工で、その作品を織田信長が愛したことで知られる。
信長は光忠が好きで32振りも所持していた。
光忠の作風の特色は、映り(うつり)の立った精密な地鉄(じがね)に丁子刃(ちょうじば)、蛙丁子刃(かわずちょうじば)が交じる刃文である。
戦国時代、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と言う、総合芸術家を輩出した本阿弥家は、刀剣鑑定や研磨で著名な家柄である。
室町時代は足利将軍家、江戸時代は徳川家に仕えていた。
この刀は、本阿弥家13代目の光忠(こうちゅう)が、長船光忠(みつただ)の作品と鑑定した。金象嵌の鑑定銘入り(写真下)

69.4cmと言う、短い寸法は磨り上げられたためである。
地鉄(じがね)は板目肌があわ立ち乱れ映りが鮮やか、刃文は光忠の特色である、丁子刃に大きな蛙丁子刃(かわずちょうじば)が交じる。
身幅が広く華やかで豪壮な刀である。

【2013.01.30 Wednesday 09:08】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
新春に名刀鑑賞+森蘭丸

近年恒例になっている、新春の名刀鑑賞会。
今年は、前田家伝来の相州行光を東京国立博物館にて見て参りました。

相州行光 短刀 国宝
鎌倉時代14世紀 加賀前田家伝来 
長さ 26.21cm 元幅 2.3cm 
相模の国の鍛冶師行光(ゆきみつ)の傑作

刀に興味のない方は、からお読み下さい。

行光は通称、藤三郎、新藤五国光((しんとうごくにみつ)の子とも弟子とも伝わる。
また相州正宗の父とも養父とも言われる。
行光は新籐五の弟子であるので、師の得意とした直刃(すぐは)から正宗の曲線的乱れ刃の間ぐらいの特徴を持っている。
この短刀はその特徴の典型である。
行光の有銘の短刀は現在2振りしかなく、これと、竹腰家から明治天皇に渡り御物となった2振りのみである。

平造りで三つ棟、内反り
鍛えは小板目肌つみ(地金が細かくつんでいる状態)、表裏とも下の方は板目肌(刀剣の表面に木の板目のような地肌が見えるもの。)が大きい。
地沸が厚く(地沸じにえ・刀身を高温で焼き急冷後、表面には鉄の組織が変化し地紋の様な現象が起きる。キラキラ光る微粒子)、地景入る。(地景ちけい・刃文のひとつ。地の中に青黒くある線状の景色)
ところどころに金筋かかり(金筋きんすじ・ 地景が匂口(刃文)にかかると時に強く輝くことを指す。)、
匂(におい・刃文を構成する要素、焼入れ組織が細かく目で見えない細かい粒)深く、小沸(こにえ・匂でも沸でもないもの)良く付く見事な出来栄え。


さて、「行光」、織田信長や森蘭丸にも関係がある。
信長も、名刀行光を所持していた。
信長が所持していたのは、不動行光と言う名の短刀。

ある時信長は、小姓たちを集め戯れに問いかける。
「不動行光の鞘(さや)刻み目はいくつか?当たれば不動行光をやろう。」
その中に信長のお気に入りの小姓、森蘭丸もいた。
彼は、信長が厠(トイレ)に入る時、不動行光を預かる役目だった。
そのため、蘭丸は鞘(さや)刻み目の数を知っている。
自分が参加しては不公平なので、蘭丸は数当てに参加しなかったと言う。
信長が、「それは殊勝である。」と感心して不動行光を与えたと言う。

しかし、惜しいことに不動行光、本能寺の変で焼けてしまい、現在あるのは復元品である。

【2013.01.05 Saturday 20:30】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
東京国立博物館で上杉家三昧
先日、東京国立博物館に出かけた。
お目当ては上杉家伝来の能衣装と上杉太刀である。

まずは上杉太刀と呼ばれる、「群鳥文兵庫鎖太刀」(ぐんちょうもんひょうごぐさりのたち)  銘一(めいいち)
総長113.0cm 刃長76.06cm 反り3.3cm
鎌倉時代 13世紀 国宝

下は、その「拵え」


謙信公が関東管領上杉憲政を庇護し、その家名を継いだ時、上杉憲政が所持し且つ代々秘蔵して来た逸品。
鎌倉時代中期の作品で、作者不明。しかし福岡一文字派全盛期の優れた刀工が作刀したものである。
兵具鎖の名があり、帯取に鎖を使用した太刀の総称である。
この太刀は鞘に、※沃懸地高蒔絵群鳥文(いかけじたかまきえぐんちょうもん)をあしらい、総金具も銀地鍍金の群鳥文の豪華な太刀。
※沃懸地とは、蒔絵(まきえ)技法のひとつで、金銀粉を一面に散らし漆をかけて研ぎ出すもの。
金地または銀地に仕立て上げる。

刀身は「一」の銘がある備前一文字の太刀である。三島大社旧蔵で上杉太刀の呼称がある。
茎(なかご)に一文字派を示す「一」を一文字刻む。
江戸時代、米沢藩上杉家に伝わり、その後三島大社に寄進、維新後明治天皇に献上された。
現在、東京国立博物館所蔵。

しかし、謙信公がこれを愛刀とした記録はない。
謙信公、備前刀をこよなく愛しいろいろ合わせて700振りも所持していたので、愛刀とまではならなかったかもしれないが、
手に取り愛でるくらいはしたかもしれない。
10月14日まで公開しているので、ご興味のある方はぜひ。


能面 小癋見(こべしみ) 圧口(へしぐち)をした面。んっと口を結んだ表情。16〜17世紀。
展示品の中で唯一、安土桃山時代にかかる作品。

東京国立博物館には上杉家能面32面、能衣装76領が所蔵されている。
しかし、これらは上杉家が所蔵したごく一部である。
上杉家能装束は、他家にないデザインで特注品と見られ謙信公を藩祖とした名門上杉家の豪華な能がしのばれる。

上杉家で特に能を好んだ当主は、4代綱勝、8代重定がいる。
綱勝が嗣子がいないまま亡くなり上杉家に養子に入って来たのが吉良上野介の子。
重定は上杉鷹山(ようざん)の舅である。
綱勝、重定の能の散財も一因となって上杉家の財政は悪化。
鷹山が借金返済に苦労することになる。

借金返済にも、上杉家では能装束は手放さなかったと言われる。
謙信公時代には莫大な富があり、謙信公所用の胴服は大変見事だが、それらの気品と豪華さを受け継いだ意匠がこれら能衣装にも伺える。
上杉家能衣装は10月21日まで。


能つながりで、逸品をもうひとつご紹介。
国宝の刀、観世正宗。

作者、正宗は五郎入道と称し、鎌倉時代末期、相模国(神奈川県)の名匠。
藤三郎行光の子とも養子ともいい、鎌倉時代屈指の刀工である。
鎌倉に生まれ鎌倉の名工新藤五国光に学び、諸国を歩いて研究し相州伝と呼ばれる作風を完成させた。
実子はなかったが、正宗十哲と呼ばれる名工10人を育て上げた偉大な教育者でもある。
(10人の高弟すべてが正宗の直弟子ではない。)
身幅はやや細く、沸(にえ)と呼ばれる粒子のきらめき、美しさ、地金の良さ誠に見事である。
茎(なかご・柄の中に入る部分)をきり詰めて寸法を短くしていて、茎(なかご)に梵字などの彫物(ほりもの)がある。

江戸時代、大名の所蔵する「正宗」を偽物と言えば打ち首になる代物であった。
正宗作と言われる品には在銘品がほとんどなかったが、明治になって大名家が”秘蔵の正宗”を大量放出したため、
一般研究家でも目にする機会が増えた。
在銘品の多くが偽物であったり、質の良くないものであったりして正宗の存在自体が疑われたこともあった。
その後研究が進み、正宗の作品で在銘なしも在銘ありも確認され裏付ける文献も発見されている。

 観世の名の由来だが、能の宗家・観世左近が所持していたことから、観世正宗(かんぜまさむね)と呼ばれる。
江戸時代の刀剣書「享保名物帳」によると、徳川家康が観世家から献上させ、秀忠に与えた。
その後、家臣との間であちこち贈り合い明治期に徳川家から有栖川宮に献上された。
同家を継いだ高松宮家に継承された刀である。
10月8日まで公開。

【2012.09.26 Wednesday 20:30】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(6) | trackbacks(0)|
備前三郎国宗

今日は、東京国立博物館で見た、名刀「国宗」のお話。
日光東照宮の所蔵品で、華やかな丁子(ちょうじ)刃、反りの深い品格ある太刀。国宝。

作者は、鎌倉時代、名刀工を排出した備前長船派の鍛冶師の子に生まれた、備前三郎国宗。
一説には、国宗が18歳の時、備前(岡山県)から鎌倉幕府へ刀工として上がったと言う。
名工として名をはせ、故郷に帰ったのが58歳の時。40年もの長き間、鎌倉で活躍した。
そして、再び鎌倉幕府5代執権・北条時頼に召され、82歳で再び鎌倉に出府する。
当時の82歳は大変な高齢、備前から鎌倉に行くだけで、落命してしまいそうだ。



国宗は1人ではなく、幾人かが名前を継承している。
今回のは、初代国宗の作品。柄に隠れる部分、茎(なかご)の差表(さしおもて)側になる方に銘が見られる。
「国」の字が太く角ばり、引き締まった初代国宗の銘が刻まれている。

上杉神社にある謙信公の戒杖刀(仕込み杖)は、備前三郎国宗。
流木状の拵えに収め、 謙信公上洛の際、高野山に持って行ったという。

鎌倉時代に名刀工が続出するのは、当時の政治状況と無関係ではない。
国宗の後の時代になると、元寇に供えて軍備増強政策で、名刀工が鎌倉に幾人も招かれている。
同時期、備前(岡山県)は福岡一文字派全盛期の終盤に当たり、長船(おさふね)派では、光忠、初代長光親子の活躍期に当たる。
1590年、数々の名匠を生んだ長船(おさふね)派は、一族滅亡の悲劇に見舞われる。
洪水と山津波(土石流)で、人、家、刀鍛冶道具も押し流されてしまったのである。
刀工とその家族7000〜8000人が亡くなり、技術も壊滅状態となった。

ちなみに、豪壮な長船光忠の刀が大好きで財力&権力で32振りも所蔵したのが織田信長、
堂々たる刀身でありながら優美な長船長光を愛したのが、上杉謙信公である。

名刀は名将を好む、名刀もまた、名将に似る。

【2011.10.30 Sunday 11:28】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(4) | trackbacks(0)|
流転の名刀、小龍景光
 


楠木正成、山田浅右衛門吉睦、明治天皇の手に渡った名刀、小龍景光(しょうりゅうかげみつ)。国宝。
太刀、二尺四寸 鎌倉時代 元亨2年(1322)

東京国立博物館にて、見て参りました。

刃の表裏に棒樋(ぼうひ・刀身の棟寄りに彫った溝、棒状)に、小さく倶利伽羅龍(くりからりゅう)と梵字(裏)を
浮き彫りにしてある。

倶利伽羅龍(くりからりゅう)とは、刀に龍が巻き付き、刀を飲み込まんとしている図。
倶利伽羅は倶利伽羅龍王の略で、不動明王の変化神の一種。
剣は不動明王を、龍は不動明王が使う力を表し、不動明王が悪を降伏させる意味がある。

刀を鞘(さや)に固定するハバキから、少しだけ龍がのぞくので、「のぞき龍景光」とも言われる。
長かった刀身を刷り上げて短くした所、龍が少し見えるようになった。
他にも、後醍醐天皇の側近中納言万里小路藤房(までのこうじふじふさ)が楠木正成に贈ったことから、
楠公景光(なんこうかげみつ)の名がある。

作者景光は、備前長船(おさふね)派の中でも美しい刀を作る刀工として有名で、名工・長光(ながみつ)の子。
鎌倉〜室町時代、長船派は現在の岡山県瀬戸内市長船に住み、多くの有名な刀工を出した。

父・長光(ながみつ)は、上杉謙信公の愛刀・小豆長光(あずきながみつ)の製作者である。
息子の景光は、多くの名刀工の中でも、短刀の名手として、1番に名が挙がる。
その景光の短刀を、謙信公が所持している。姫鶴一文字と合わせて帯刀したと伝わる。

鎌倉幕府打倒の立役者、楠木正成の佩刀(はいとう)であったが、周知の通り楠木正成は、1336年湊川合戦で戦死し、
小龍景光も行方不明になった。
名刀は名将の間を渡り歩くと言うが、主を失った小龍景光も、数奇な運命をたどる。
時代が下り戦国時代、豊臣秀吉に渡り家康に渡り、その後どう遍歴したか不明だが、江戸時代幕末になって、大坂河内の
農家から発見される。
しかし、江戸の刀の目利き本阿弥家によって、偽物と判断される。

これとは別に、同じ幕末の頃、刀の試し切りで有名な山田浅右衛門が、小龍景光を購入した説がある。
山田浅右衛門:江戸幕府、御様御用(おためしごよう)と言う、刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主が
代々名乗る名前。
死刑執行人も勤めていたため、首切り浅右衛門とも言われた。

その後、幕府旗本で江戸無血開城に尽力した大久保一翁から、明治天皇へ献上された。
戦後、東京国立博物館に所蔵されている。

【2011.10.03 Monday 09:47】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(6) | trackbacks(0)|
過去のページへ

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、サッカー日本代表、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中