大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 真田丸 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
真田丸「迷走」
水戸黄門が同番組でこらしめた代官は、実際の代官より多いそうな。
テレビ番組はもともと創作だが、真田丸を見ていると、
戦国大名はいつも戦ばっかりやっているような印象を抱く人が多いと思う。

彼らは、領主であり国を治めているのだから、政治家である。
軍事家である前に政治家である。
真田昌幸と長男・信幸は政治家だけれども、次男・信繁は政治家ではない。
軍事力をそろえるにも、先立つものは金である。
金がなければ、満足な軍事力が持てない。
そこで大事なのが、領国経営である。
それをドラマで描くことは本当に少ない。

水戸黄門の話ではないけれど、戦国大名の逸話も創作が大部分占め、
戦国ファンタジ―ストーリーである。
言わずもがな、そのつもりで見ることにする。

今回、北条氏政・氏直親子が出て来た。
北条氏政の先妻は、武田信玄の娘で氏直の実母である。
上杉謙信に対抗するため、三国同盟が北条、今川、武田で締結されたが、
今川義元が織田信長に殺された後、破棄される。
そして、北条氏政に嫁いでいた信玄の娘は離縁となった。
6人ほど子供がいて仲睦まじさが推察出来るが、信玄の娘で北条氏政の妻・黄梅院は
離婚後27歳で死去している。

忍者の佐助のアクションも見どころである。
信濃の国衆・出浦昌相も、霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)のモデルである。
彼は、甲州透破(すっぱ、忍者)の元締めである。
真田とよしみを通じているが、武田家滅亡後は、信長家臣で海津城にいた森長可(もりながよし)に属した。
ちなみにこの森長可は、信長の小姓の森蘭丸、坊丸、力丸らの兄である。

真田が勢力を張っていた、上州、信州は北条、徳川、上杉が群雄割拠した地域である。
非常に複雑な土地である。
信長の死がドラマでは即伝えられていたが、当時の関東に人々にとって確定情報ではなかったのである。
たとえ信長が死んだとしても、織田家が即なくなるわけではなく、信州、上州の諸将たちは織田家重臣滝川一益の支配下にあった。
しかし、北条が怒涛の勢いで北上して来る。
北条に滝川一益が敗れ、信濃の大方の武将は北条になびいて行く。
北条を阻む者も、いる。
越後の上杉、東海の徳川である。

しかし、昔って小さな単位で戦争やっていて本当に大変。
県単位どころか、町単位、村単位で戦争しているようなもの。
いやいや、戦争ばかりではなく、ちゃんと政治も商売もしているんだが。

【2016.02.15 Monday 20:35】 author : いづな薫 
| 真田丸 | comments(8) | trackbacks(0)|
真田丸「挑戦」
真田丸、出張に出かけていて、見たのが再放送の本日です。

武田家が滅亡し、織田信長の勢力が信濃・上野(こうずけ)に迫る中、真田昌幸は織田に人質を差し出さねばならなくなる。
天正10年3月15日、真田昌幸は家臣で叔父の矢沢とともに、信濃高遠にいた織田信忠(信長嫡男)に、娘を人質に出すことを約束している。
真田家臣の、加沢平次左衛門が書いた「加沢記」によって確認できる。
信長は、武田家の領地のうち甲斐、信濃、上野の3国を取り上げている。
信長が関東管領に、滝川一益を任命したのもこの時である。
関東管領、上杉謙信が生きていた時はその任にあったが、信長最晩年にはこの滝川一益である。
信長は、滝川に上野(こうずけ)と、信濃のうち小県(ちいさがた)と佐久郡を与えた。
滝川一益は、天正10年3月19日1万の軍で上野(こうずけ)の箕輪城に到着し、5月末には厩橋城(まやばし城、現前橋)に移った。
天正10年はあわただしい年である。
信長が、6月2日早朝京都本能寺で明智光秀に攻められて、死んだ。

滝川一益の関東支配も終わる。
彼が、本能寺の変を知ったのは、6月7日である。
滝川一益は、上野の国衆たちに信長の死を知らせ人質を返還して来たと言う。
昌幸の娘はこの時返されたのである。
6月18日には、上野国に攻め入って来た北条氏と滝川一益は戦い敗れている。(神流川合戦)
真田家は、信長死亡情報と人質変換してくれた恩義に報いて、滝川一益に味方して北条と戦ったのである。

感想。
明智光秀が例によって信長にボコボコにされた時、ポンポコ家康が介抱していた。
このドラマの家康は親切。苦労の多かった人だし。
後半、信繁と対立するのでキャラを際立たせるためにソフトな人格に演出しているのかもしれない。
タヌキが多い番組だが、もう一人のタヌキ、真田昌幸。
松が人質に出される時、父ダヌキを子ダヌキ3人が必至に言いくるめようとしているのが面白かった。
ドラマの中の、安土商店街が面白い。
今の、JR安土駅前はこんな感じだったのか。

【2016.02.06 Saturday 15:42】 author : いづな薫 
| 真田丸 | comments(0) | trackbacks(0)|
真田丸「策略」
上杉への手紙を持って、真田信幸と忍びの佐助が城を発つ。
途中襲われて、手紙を奪われた上、佐助が斬られてしまう。
あ〜あ〜、おかしいと思ったのよ。
北条にも織田にも、それぞれ仲間に入れて下さいと言って、上杉にも仲間になりたいと言う返事を書く。
そんな手紙書いていることがばれちゃまずいのだから、つまりは密書である。
密書を、戦闘になって手から手にやり取りするなんて間抜けすぎる。しかも落とす。
普通、襟に縫いこむとか笠の紐にするとか、1行ずつ裁断して別々に持って行く。でなければ口頭で伝えるとか。
信幸が変装もせずに歩いていたが、武士は、商人や僧などとは違い、どこでも他国へ入国できる立場ではない。怪しまれる。

でも、2人のコミカルな俳優さんが、大真面目で密書運びやら殺陣やら演じているから面白い。
出浦昌相、う〜んどうも忍たま乱太郎の山田先生に見えてしょうがない。←私はこの映画が好き。

信繁ら3人きょうだいの、性格書き分けが面白いが、姉と小山田茂誠(おやまだしげまさ)夫婦も面白い。これは人気が出そう。
信繁の姉村松殿の夫は、生年がいくつか説があり、ドラマでは妻の村松殿より若い設定だそうだ。
信繁と同年である。
今回はこの小山田茂誠(おやまだしげまさ)だが、三谷脚本って「清須会議」と言いボロボロの逃亡武者がよく出て来る。笑

さて歴史の話。
真田家の行く末を決める、重要会議に参加しない次男信繁と、嫡男・信幸の立場の違いが書かれていた。
ドラマの中で、父昌幸が北条、上杉と味方する先を思案しながら結局、織田に付くと言っている。
昌幸は、2人の兄がいた。
長兄信綱、次兄昌輝である。
彼らは、織田信長との1575年長篠・設楽ヶ原戦いで戦死している。
つまり三男で真田家の家督を継いだ昌幸は、兄2人の仇敵に付こうと言うわけである。
まあ、仇敵だ何だと言っていては勝てない。
(現代、野党連合はいやだと駄々をこねる民主党よ見習って欲しい。
勝たなきゃ意味ないんだよ。
マスコミは野合だのなんだの書き立てるが、そんなもの反安倍勢力結集させたくないからである。)

真田昌幸は、表裏比興者(ひょうりひきょうもの)と秀吉に言われた。
ころころと態度を変え、強い勢力に味方していく意味である。

ドラマで、真田昌幸は武田家滅亡寸前に勝頼を助け、自分の城岩櫃城(いわびつじょう)へと誘った。
それを勝頼が甲斐を離れられぬと言い、裏切り者になる小山田信茂の岩殿城へ向かう。
武田家の歴史書「甲陽軍艦」だと、真田は外様だから信用できないと勝頼は小山田の方へ向かったことになっている。
しかし、事実真田昌幸は北条氏政に2度も手紙を出しており、武田を救援するつもりなどなかった。

天正10年(1582)3月に武田が滅び、同年6月に織田信長も死ぬと真田昌幸は徳川に付く。
徳川に付き、北条と上杉に抵抗した。
しかし、徳川と北条が和睦すると、真田は今度は上杉について二男信繁を人質に差し出す。
この先は、またそのうち。

誰か強い勢力に忠誠を誓うのではなく、真田昌幸はおのが一族を残すために奔走するのである。

信繁の側室になる人物が2人出て来た。
梅ときりである。
梅の子は、第1子なのに「すえ」。「きく」だったとの説も。
きりの娘は、伊達政宗の家臣片倉重長(小十郎、ここんちみんな小十郎)の妻になる人である。
あまり女性の歴史は残っていないが、真田信繁の正室側室は少なくとも4人いて子供も10人以上いる。

【2016.01.25 Monday 20:54】 author : いづな薫 
| 真田丸 | comments(2) | trackbacks(0)|
真田丸「決断」
三谷脚本、上手いな。
45分間ハラハラドキドキさせられるし、その先がどうなるんだと言う気分になる。
コミカルな、大泉洋さんがシリアスな役をこなしていて、いつ笑いを取るかと気になる。
けれど、ずっとまじめなままである。
親兄弟を守るために、容赦なく乱取りの者を斬る冷徹さまで見せる。

乱取りに着物を差し出し、泥だらけになって逃げる真田一族は見ごたえがあった。
姉の知り合いが出て来てこれがまた罠。

繰り返すピンチで飽きさせない工夫は本当に上手い。
パパ昌幸が迎えに来てくれた時は、視聴者はほっとしただろう。笑

ドラマは、視聴者を飽きさせない意外性の連続が大事である。
パパ昌幸が、智謀を尽くして家族や家を守ろうとしている。
かなりかっこよく書かれているのは、これってもしかして家父長制度好きな政権へのNHKのよいしょか。
勘ぐりすぎと思う人もいるだろう。
こわいこわい。思わぬところにすり込みってあるんだよ。
報道の自由世界61位、政府に好都合なことしかテレビでは流れない国なんだから。

さて歴史のお話。
天正10年(1582)3月武田家滅亡する2カ月前、真田昌幸は、小田原の北条氏政にそちらのグループに入りたいと
2回も手紙を出している。
氏政の答えはOK。
武田が滅んだ翌月に、今度は織田信長に家来になりたいと馬をプレゼントしている。
でも、天正10年、この年の6月2日は信長の命日になるのである。

信長につき、信長が死ぬと北条につき、次は徳川家康につくと言う、真田は生き残りをかけて次々と選択を迫られる。
知恵と武勇で全力を尽くして家を守ったのが、真田である。

小山田信成(のぶしげ)は、武田滅亡後信長のもとに走ったが信玄を裏切ったと言うことで家族もろとも処刑される。
ドラマで一緒にいた、幸村の姉村松殿の夫は長生きするので大丈夫。
関が原で負けた幸村が、高野山・九度山に蟄居させられた時、幸村がこの義兄に手紙を送っている。
「私たちは去年よりにわかに年をとり、事のほか病人になりました。歯なども抜けました。ひげなども黒い所があまりないです。もはや御目にかかることもありません。」

穴山梅雪は、武田滅亡後家康に近づき信長につく。
家康の与力にもなっている。
天正10年5月に家康と共に上洛、6月に本能寺の変が起きる。
その時、堺で家康は堺で遊んでいたがこれに穴山梅雪が同行していた。
家康と共に堺から逃げる途中一揆に襲われ殺害されている。

穴山梅雪、母が武田信玄の姉でつまりは信玄の甥。そして妻が信玄の娘と言う血縁関係である。
信玄に非常に近しい人だったが、信玄4男の武田勝頼をとりまく家臣と対立していた。

PS.もと鷹匠の本多正信が鷹に餌やっていたり、家康がやけどしてフキの葉が効くだの教えてもらったりしている。
家康は、周知のとおり薬マニアだが、それぞれの登場人物のバックボーンもさりげなく出していて面白い。

【2016.01.18 Monday 11:28】 author : いづな薫 
| 真田丸 | comments(2) | trackbacks(0)|
真田丸「船出」感想
真田丸のポスターを初めて見た時、変わった馬具に目を留めた。
馬の鼻面に六文銭の板が乗っている。
私は少し、乗馬をしたことがある。
馬って、鼻面に何かつけられるのをとても嫌がるのだ。
だから、馬具には普通鼻面に付ける物がない。
おかしいなと、当ブログご常連様と話していた。

そうだったのか、この馬、ロボットなんだそう。
馬の時給って、30万円くらいだったか。
俳優より高いんだよね。
コスト面でも良いのかも。

さて、真田丸である。
思ったことを書いていく。
ひなびた土地に、幸村母がひとり都風。
山之手殿(やまのてどの)と言われる人である。
出自はいろいろあって、はっきりしていない。
1)京の貴族、菊亭晴季(きくていはるすえ)の娘、養女だとか。
2)貴族の正親町氏の娘で、武田信玄養女だとか。
3)武家の宇多氏の娘で、石田三成妻の姉だとか。
だが、石田三成妻の兄弟に、幸村の姉妹が嫁いでおりおそらく3)は誤説。
ドラマでは、幸村は3人兄弟だったが他にもいる。

菊亭は別名今出川氏で、右大臣出すような京の名門公家である。
  1)の菊亭は格が高すぎて、武田家臣の真田と結婚するのは無理か。
ちなみに、武田信玄の妹が菊亭晴季(きくていはるすえ)の妻である。
信玄の妻も、京都の名門公家三条家の人である。
どんな経緯で、真田幸村の母が信州に嫁い#で来たかは不明だが、おそらく京都の出身で
武田信玄の縁故によって、重臣の真田に縁付いたものと推測できる。

ドラマで、武田家滅亡が進んでいる。
興味深かったのは、家臣たちが最初は軍議や隊列に参加してもだんだん離れて行くシーンだ。
戦国時代の侍は、たぬきの泥舟と一緒に沈みたい人間は少ない。
この殿様ダメだと思ったら、どんどん見限るのである。
滅亡でなくても、半農半武士が多いので、稲刈りなどあればさっさと帰る。
だから、家臣をひきつけ勢力を維持し続けた戦国大名と言うのはいかにすごいかである。
領主も、部下の厳しい査定に常にさらされているのである。

ラスト、父を除く真田一家が乱取り(戦場の盗賊)に襲われながら逃避行を続けるシーンがあった。
これも、映像で見たことが興味深い。
武田等大きな勢力が滅ぼうとする時、戦場から逃げる人がたくさん出る。
そして、戦場は良い稼ぎ場でもあった。
これで食べている人もかなりいる。
武田家のスローガン「侵略すること火の如し」もまさにこれ。
死んだ武者から甲冑をはぐだけでなく、人や物資の略奪、さらには人身売買がたくさん行われた。
奴隷として、日本のみならず海外に売るのである。
長崎は、世界でも有数の奴隷市場である。
買うのは外国人でも、日本人を日本人が狩り、仲介業者も日本人である。

戦国武将の華やかな合戦シーンばかりが映像になるが、戦国時代の日本はそういう時代である。
もちろん、ドラマ真田丸は娯楽番組なので娯楽性を求めてくれて良いと思う。
「富士山か浅間山が噴火しない限り、武田家は滅びない。」と言った途端、ドッカーンと爆発するのはまさに三谷節。
予告で、景勝が「当家は弱きを助け強きをくじくのが家風」と言ったのは上杉家らしさが出て良かった。

私は、ただドラマが面白いとか面白くないと言うだけの感想を書くことはない。
史料から見える、戦国時代を考えて行きたいと思う。

【2016.01.11 Monday 20:27】 author : いづな薫 
| 真田丸 | comments(3) | trackbacks(0)|
過去のページへ

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中