大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 天地人or直江兼続 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
景勝&兼続と、秀吉のベッド


上杉景勝&直江兼続一行が、初めて上洛した、天正十四年(1586年)6月14日『上杉家御年譜』の記録に、
面白い記事がある。
 
 御饗(ごきょう・パーティ)終わって、千宗易(利休)お茶進上す。
それより景勝は秀吉の案内にて、城中天守いたるまでことごとく歴覧ありて、御帰座の時、寝所を公開の上、
秀吉手ずから景勝に
赤織の羽織を進せらる。

 秀吉は、景勝と兼続を大坂城をくまなく案内し、寝室を見せ、秀吉自ら赤い羽織を景勝の肩に掛けてやったのである。
 秀吉は、南蛮風のベッドを使っていたと言うから、それを上杉主従に見せたのであろう。
 謙信は既に亡いとは言え、謙信の遺した戦国最強軍団の総帥権を握るふたりである。
 寝室まで公開し、着物を着せてあげ、秀吉の必死の上杉家懐柔策を見て取れる。
 この上洛を機に、上杉家は豊臣体制に組み込まれて行くことになる。

【2009.07.04 Saturday 22:56】 author : いづな薫 
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上杉かぶき衆
いづな、めったにブックレビュー(読書感想文)を書かないが、実は歴史ばかりでなく月20冊くらい本を読む。いや、もっとか?
仕事合間に、新聞や本を活字中毒か!ってくらい読んでいる。

 で、今日は、「天地人」の火坂さん著の「上杉かぶき衆」について語ります。


 天地人に出てくる、いろんな登場人物の短編集です。
前田慶次郎や、大国実頼上杉三郎景虎などが印象に残りました。

 自由気ままに生きていた、”ちょい悪オヤジ”「前田慶次郎」が、
ある時、加賀に残して来た実娘の出現で、気まま暮らしに狂いが生じる。
 一流の文化人で、武芸の達人の慶次郎が、捨てて来たはずの娘に振り回され、父性愛を見せます。
白髪を派手な茶髪に染めやせ我慢して”傾く”シーンは、なかなか切なかったです。



 「大国実頼」は、兄にひたすら憧れた弟が、やがて、袂を分かっていく気持ちが丁寧に書かれていく。
 
 大国実頼こと、与七は越後の名門・小国家へ婿養子に入るが、名門を鼻にかけた妻と上手く行かない。
 旬のシロウオが捕れ出したと聞けば、馬で買い求めに行き、
アケビの新芽も自分で妻のために摘み行く。
 「歌でも、詠めばいいものを。」と、夫の努力を妻は嘲るが、それを聞いた与七はけなげに歌を習う。
 与七は、歌詠みとして才能があり、才能を花開かせていく。
そこへ、兄・兼続より、子のない景勝に代わり、上杉家の人質として京に滞在するよう言われると、小説にはある。

 これが、与七の運命を変えた。
歌の上手い与七は、歌の才能で京の文化人と付き合い、不仲な妻の替りに新しい恋人まで出来る。
 それが、常に越後を第一に考える兄との間に、修正不可能な深い溝を生んで行くのである。

 関ヶ原後、四分の一への減封。
兼続が、嫡男・景明を廃嫡し、家康の腹臣・本多正信の息子を養子に迎えた時に、兄弟の仲は決定的な亀裂を生むのである。
 仲の良かった兄弟の悲劇が、読み応えがありました。



最期に「上杉三郎景虎」。
永禄四年、三郎8歳の時、越後の長尾景虎が、関東管領の要請で、小田原城を包囲する。
8歳の三郎は、目の前に現れた強大な敵におびえて、恐ろしい男だと、トラウマになる。
 しかし、17才の時、コワイ上杉家へ人質に行かねばならなくなり、ビビる三郎。
 しかし、越後に向かう途中、上州沼田まで、謙信が迎えに来てくれる。
この、謙信との出会いが良い。
純白のコブシの花の下で、二人は親子になるのである。
 初めて自分を愛してくれた謙信に応えるため、三郎は学問、武術に励み、
 美しいものが好きな養父のために、歌舞音曲も励む。
 
 そこへ、忽然と現れた、強力なライバル。
金仏のような養子、景勝である。(金仏って、書いてあるんだモーん。)
金仏よりもっと嫌いなのは、利発で美男でたちまち謙信を虜にした直江兼続という若者。
 兼続のみずみずしいお肌のハリに、嫉妬する三郎がなんだか笑える。
その後の展開は、ドラマや史実で語られている通りなので割愛します。

 景虎の視点で見ているだけに、天地人とはまた違って面白かったです。

【2009.07.03 Friday 08:17】 author : いづな薫 
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兼続と景勝と占い


戦国武将占い、ではない。
一応言っておくと、いづなは前田慶次郎と出た。
じゃなくて、今日は、戦国武将が占い好きだったお話をする。

 直江兼続は、和漢や医学、農業、あらゆる学問に通じた識者で、合理的考えをする人物だったと推測する。
そんな彼が、実は占いの本を書いている。
 米沢の上杉博物館で、時々展示しているので、御覧下さい。

 中国の書物『四書五経』の中に、「占い」に関する書物がある。
和漢に通じ、『四書五経』にも造詣が深かった兼続は、占いに関しても詳しかったはずである。
 (四書五経:儒教で最も大事な、4つの書物と5つの経典)

 直江兼続の軍師となった人物に、足利学校出身の涸轍祖博(こてつそはく)という人物がいる。
足利学校は、東国の最高学府であり、漢学、儒学、天文学、医学、易学(占い、兵学、を教えていた。
 占いは、重要科目だったのである。
 卒業生は超エリートで、軍師として、各地の戦国大名のもとに就職している。
 何を隠そう、景勝や兼続にも多大に影響を与えた、景勝の叔父・通天存達(つうてんそんたつ)禅師も、
足利学校を首席で卒業している。
 景勝の叔父さんは、すご〜く頭いいのである。

 大安とか仏滅とか、時々カレンダーで見かける。 
冠婚葬祭程度にしか今は使わないが、昔、占いは、生活の一部だった。

 平安な世であっても、流行り病、天災は日常茶飯事だし、戦国時代なら、明日死ぬかも知れない戦もある。
 出陣は、縁起のいい日にしなければならないし、凶と出た方向に出陣して死にたくないものである。
 占いは、兵法であり、生活の一部であったのである。

 
 さくらんぼ”電気釜落下事件”に付き、ご心配いただいた皆様ありがとうございます。
いづな、おかげ様で元気です。
 温かいお見舞い、感謝申し上げます。

【2009.06.26 Friday 22:46】 author : いづな薫 
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直江兼続の漢詩
この前、天地人・兼続が、誰の声やねんっ、て声で詠ってた、直江兼続の有名な漢詩を本日ご紹介。
織女惜別(しょくじょせきべつ)って言うタイトルです。


織女惜別(しょくじょせきべつ)

二星 何ぞ恨まん 年を隔て逢うを
今夜 床を連ねて 鬱胸(うっきょう)を散ず
私語 未だ 終わらざるに先ず涙を酒ぐ(そそぐ)
合歓(ごうかん)の枕の下 五更(ごこう)の鐘



二星とは、七夕の星織姫と彦星星のことで、一年に一度しか逢えない。
しかし、その境遇を恨む気持ちなどサラサラない。
こうして、枕を共にして、辛い気持ちを晴らしているではないか。
寝物語も終わらぬうちに、涙を流している。
こうして共寝の喜びを味わっているのに、夜明けの鐘が鳴り響いている。
                         いづな訳
 

関ヶ原の翌々年慶長7年(1602年)、直江兼続は、前田慶次郎、兼続実弟の大国実頼など
上杉家きっての歌詠みを集め、亀岡文殊大聖寺の文殊堂(現:米沢市北東10km)で歌会を催す。
 ここで兼続や前田慶次郎たちが詠んだ歌が、今日数多く伝わっている。 

 しかし、上記の、織女惜別はいつどこで詠んだか特定できていない。
 この漢詩で、兼続にはお船以外に好きな人がいたんじゃないかとか言われていますが、さあて、どうですかね。
 恋愛してなくても、詩は書けるし。いや実は、好きな人いたのかもしれないしハート



 病院ところで今夜、いづな、電気釜を足の甲に落すという惨事に見舞われる。
 釜壊れなかったか?いやそれより足だ、笑。

【2009.06.24 Wednesday 22:42】 author : いづな薫 
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上杉家と京の街
越後の上杉家と京都、一見遠く離れた土地ではあるが、これがかなり関係がある。
秀吉の建てた聚楽第が、京都御所の西、二条城の北にあった。
 
 この周りには、弾正町、如水町、飛騨殿町などがある。
 
 弾正町とは、上杉景勝が謙信から譲られた官名であり、如水町は黒田如水、飛騨殿町は、
景勝の前の会津の太守・蒲生氏郷から由来する。
 

 聚楽第があったとされるこの界隈に、清明神社がある。
陰陽師で有名な安倍清明の屋敷址に建ち、清明ファンで賑わっている。
提灯には、五ぼう星(星型)が赤い字で書かれていて、見るからに不思議な神社である。

 この清明神社の場所、桃山時代は千利休の屋敷が建っていたこともあった。

 余談だが、そのすぐ近くにあの世とこの世をつなぐ橋の一条戻り橋がある。
 葬儀の列が通ると、亡くなった人が息を吹き返すという、橋である。
延喜十八年(918年)漢学者三善清行が亡くなり葬列が一条戻り橋を通った。その時、熊野で修行中の息子が帰って来て、棺に取りすがって泣いた。
 すると父・三善清行が生き返り、父子が抱き合い再会を喜んだと言う。


 安倍清明は式神を、この橋の下に隠していた、と今昔物語にある。
いづな今昔物語が愛読書だったこともあり、一条戻り橋を何度も訪ねている。
 
 聚楽第で秀吉が政務を執り、周辺に大名や要人が屋敷を持ったのである。
聚楽第は、金の瓦が出土したりその絢爛さが偲ばれるのに、わずか十年ほどで取り壊される。
 関白職を譲り、聚楽第に住まわせた甥の秀次が、秀吉の勘気に触れ切腹を命じられたからである。
 秀頼が生まれたから、邪魔になったに違いないが。
 あまたいた側室や子供も、犠牲になったと言うからむごい。

 関ヶ原時、直江兼続と長谷堂城の戦いを繰り広げる最上義光の娘も、側室のひとりだった。

 かくて、秀吉は伏見指月城に移り住む。
伏見古地図には、城周囲に、会津中納言景勝、石田治部少輔らの屋敷名が見える。
 現在、景勝町、景勝橋、治部町(石田三成)、毛利町などが名前として残っている。

 伏見に政治の中心があった1596年、京の町を大地震が襲う。
京大坂で、約1000人が圧死する大地震である。
これを機に秀吉は、より頑丈な伏見城建設に踏み切るのである。

各大名屋敷も倒壊したが、上杉家はひとりの死傷者も出さなかった。
 雪国は豪雪に耐えるため、梁(はり)が太い。
京屋敷も、越後の感覚で建設したのだろう。 

【2009.06.16 Tuesday 21:49】 author : いづな薫 
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魚津・愛の湯呑み茶碗

おもしろグッズのご紹介です。
いづなのお友達の「きあさん」が、魚津旅行に行かれ、お土産としていただいた、湯呑み茶碗。
 何も入れないと、魚津城の古地図が出ていますが、お湯を入れると、あ〜ら不思議。



 地図が消え、兼続のの字が、浮き出て来るではありませんか。
(お湯が緑色なのは、昆布茶だから。笑)

温度に反応する染料で書かれているとのこと。
 低温時には、魚津城古地図、上杉軍×織田軍の戦いの文字他、上杉、織田の家紋も浮き出てます。

こちらは、きあさんのおじいちゃまが、家庭菜園で作って下さった野菜。
きゅうりに花が付いているのに感動〜。
味が濃くて、とっても美味しかったです。きあさん&おじいちゃまに、感謝です!

【2009.06.12 Friday 11:25】 author : いづな薫 
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サントリー美術館『天地人展』 その4


姫鶴一文字(ひめつるいちもんじ)は、謙信の太刀だったと伝えられ、景勝が継承した備前の名刀です。
今回、私が最も見たかった展示品のひとつです。

景勝が所持する太刀のうちでも特に選んだ、三十五腰(35本の刀)の中にも入っています。
ツバのない、上杉家独特のスタイル。
ツバなし→危ないと思うなかれ。
ツバはそもそも、重さのバランスを取るもの。
時代劇で、ツバで敵の刀を止めるシーンがあるが、
敵の刃先がもしツバの辺りまで来ていたら、それはもうかなりヤバいんです。

この太刀はいわく付きで、ある時、長い刀身をすり上げようとした時(短くすること)、刀の精が出て来て、
「短くするでない!」と言ったそうな。
その精が、”鶴”と言う女性であったわけ。
刀剣コレクターの謙信・景勝の愛した名刀だけあって、鎌倉時代に打たれて以来、今日でも、魅入られ吸い込まれてしまいそうな妖しい輝きを放っています。



まだ、刀剣コレクターになっていない景勝。笑

【2009.06.11 Thursday 22:31】 author : いづな薫 
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サントリー美術館『天地人展』 その3
サントリー美術館に展示中の、
お盆にイノシシ、じゃなかった日輪(太陽)にイノシシの、景勝の具足。
兜の裏に、永禄六年(1563年)八月吉日の銘あり。
謙信&信玄の激戦だった第4回川中島の2年後に当たり、景勝9歳です。
謙信が仕立て、幼少の景勝に贈ったか?
 イノシシは摩利支天の乗る動物で、摩利支天は戦場の神、護身、お金がたまるなどのご利益あり。

イノシシのちびっこい足が、ちゃんと付いているのさ。
 いづな画   


 今まで、日本史ボタンを押して下さった皆様、心より感謝します。
現在、サイト工事をしているので、しばらくお休み中です。
 もし再設置することになりましたら、よろしくお願いいたします。
いつもありがとう〜。

【2009.06.10 Wednesday 19:57】 author : いづな薫 
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サントリー美術館『天地人展』 その2


サントリー美術館に展示中の兼続の鎧。16世紀のです。   いづな画。
 美術館の中は、天地人のオープニング曲がかかっていて、大河の話題になる前から、
上杉家の宝物を見て来た私には何とも妙な感じ。笑

胸板や、草摺り(スカートみたいな所)には、秀吉の紋と直江家の紋が入っている。
兼続は、1588年秀吉から豊臣姓を許され、五七の桐紋を許可された。
五七の桐とは、パスポートの写真欄に印刷された紋である。

むか〜し、天皇の衣装の柄に使われ、武家に紋を下賜された事により、武家の間でも使われた。
現在は、日本国政府を表す紋章でもある。

 この兜の野球みたいな前立ては、古い写真にはなく、胴、しころ(兜の帽子部分のすぐ下、首を覆う部分)、袖、脛、面頬(めんぼう:お面)のが異なっている。
 当初は、この組み合わせパーツの鎧では、なかったと推測される。



今まで、日本史ボタンを押して下さった皆様、心より感謝します。
現在、サイト工事をしているので、しばらくお休み中です。
 また設置することになりましたら、よろしくお願いいたします。
いつもありがとう〜。

【2009.06.09 Tuesday 21:45】 author : いづな薫 
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サントリー美術館『天地人展』 その1


サントリー美術館の、「天地人展」に行って参りました。
見慣れた上杉家の宝物の数々、東京で拝見出来るとは不思議な感じです。
普段は米沢や新潟にある宝物です。
何を見て来たかは、明日以降に詳しくアップします。

行く前に腹が減ったので、近所で腹ごしらえすることに。
うーん、この辺りのウマイ店を知らない。
知っているのは、”乃木さんち”くらいだ。
乃木さん=陸軍大将・乃木希典(のぎまれすけ)、明治天皇に殉死した人汗

六本木と言う場所柄、おしゃれな店が並ぶ。
別におしゃれでなくても、美味けりゃいいんだが。笑
いづな、珍しくこじゃれた物を食ってみる…。             いづな画

【2009.06.09 Tuesday 00:58】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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