大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 春日山城、新潟 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
越後上越おもてなし武将隊

私の場合、twitterの方は更に政治色が強いので面白いツィートはなかなかRT出来ず。笑 
なので、こちらに載せます。
北陸新幹線開通間近、謙信公も試乗。
450年前、豪雪の三国峠(1244m)を人の力で越えて来た上杉軍。
新幹線を知ったらびっくりするでしょうに。しないかな?450年も経っているのだから。
日本の政治、経済、外交すべて悪化する中、当ブログ記事も重たくなるのでたまに息抜きしませう。

【2015.02.13 Friday 10:18】 author : いづな薫 
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かちどき飯
さて、今回謙信が家臣に振舞ったお料理をいただいた。
かちどき飯である。
 これは、お発ち飯ではない。
お発ち飯は現代版にアレンジしたもので、新潟各地で食べられる。
 
 かちどき飯は、文献から解読し忠実に再現された、謙信公時代のご馳走なのだ。
 仕込みに1週間を要すそうである。
 
 場所は、上越の「から松や」様。
通常八名様からのお料理だが、友人の尽力で特別にいただけた。

そして、貴重な出会いが待っていた。
 まずは、饗宴の数々をご紹介しよう。


けずりもの 
鰹節を荒削りして、するめと煎り酒に漬けた物。
めちゃくちゃお酒に合うお味です。
煎り酒とは、何か?
下の戦国さしみで、ご紹介つかまつります〜。



左:戦国さしみ                           右:煎り酒
醤油のない戦国時代、わさびと煎り酒に漬けて食べたそうです。
刺身は昆布でしめてあり、そのまま食べても美味。
魚の身の裏を見せる切り方が、茶懐石風とのこと。
 表をあえて見せない。茶懐石では、主役は茶です。
 質実剛健な見た目ですが、口に入れた時、刺身の厚さ、煎り酒の絡み具合が絶妙で、正直うなった。
 私は刺身が特に好きで、築地に買いに行ったりする。

右のピンクの液が煎り酒、梅一升と鰹節を清酒に入れ煮詰めたもの。
 清酒は当時大変貴重で、これを調味料に使うと言うのがかなりのぜいたく品。
煎り酒は大変美味しく、残ったのもお酒のようにいただいてしまいました。
緑のずんだ酢も美味。ずんだとは枝豆のすり下ろしたもの。



左:炙り焼き                            右:糠みそ煮
合鴨を炙り焼き、柔らかくて風味があり美味しい。
キスの焼きびたしと川えびで、食感が変わる。このお皿はみな香ばしい。
 糠みそ煮は、鰯、こんにゃく、竹の子、なすを糠みそで煮てあり優しいお味です。
 みそは当時貴重で、ぬかをみそに入れて作った物が、糠みそだそうです。
甚太みそとも言うそうです。



左:胡桃浸し(くるみびたし)                    右:黒米(玄米)
ほうれん草のおひたしに、味噌汁の上澄み液、胡桃の摩り下ろしがかかったもの。私、家で早速真似して作りました。笑
右、味わい深い黒米。



左:集め汁                             右:香の物と水菓子(柿)
干魚、ずいき、ごぼうが入ったお味噌汁。
天地人でお饅頭が度々出て来ましたが、当時は砂糖も一般的ではありません。デザートは柿をよく食べたようです。


 腕を振るって下さったお店のご主人様より、一品一品丁寧にご説明いただく。
 ご主人様と私たち、歴史話で意気投合し、終始上杉家の話で花が咲く。
 謙信公のお導きだと思っているのだが、
私は、幸運なことにいろいろな専門家に出会える。

 今回は、謙信公の料理を再現できる料理のプロ、から松やのご主人様。
文献から再現された400年以上前の料理の、美味しいこと。
 砂糖、醤油のないことが、素材の味を引き立てている。
 謙信公の食べていた料理は、質実剛健かつ繊細で、砂糖、醤油、塩の味に慣れている現代人には、驚きの味である。

 戦国時代平均寿命30歳代と言われた中で、武将たちは実は案外長生きである。(残念ながら謙信は違ったが、)
 合戦と言う大変なストレスの中、最大限に健康を維持できる食べ物を食べている。  
 玄米、味噌、ゴマなどをよく取り、武術の鍛錬をするから運動不足はない。
 基礎体力、免疫力を上がると言うわけである。
 満足の医学のない時代、身体を頑健にすることが、とにかく長寿の秘訣だった。
 人間にとって良い食事は、昔の方が優れている。

 このご主人様、嬉しいことを、『戦国カフェ』を御覧下さっていた。
もう驚き、座布団から落ちそうになりました。笑

 帰る際、お店の外まで見送って下さったご主人様、お友達の固焼きせんべい様、M様、ゆき様、
 時空を超えた楽しい時間を、心より感謝申し上げます。
 また、お会いしましょう。


 今回の旅、今年一年の上杉家ゆかりの土地の方々に感謝したく、あちこち回りました。
 もちろん、存じ上げている方すべてに逢うことは叶いません。
しかし、かつてお会いした方もまだお会いしていない方も、そして、わが敬愛する上杉家ゆかりの人々すべてに、
深く感謝申し上げます。

【2009.12.05 Saturday 08:52】 author : いづな薫 
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鮫ヶ尾城と春日山城 上杉×伊達ツアー
上杉・伊達ツアー3日目。
さて今度は、一緒に行ったのは家族でなくて、友人といづなの4人。

朝、春日山に行くはずが、天気が良いので、ゆきさんといづな、急遽、鮫ヶ尾城に行くことに。
 この季節、新潟が快晴とは、幸運なのだ。
謙信公のおかげか。
以前傘の骨が折れる嵐の中、来たことがあって、謙信助けてー!と念じたら、あ〜ら不思議、たちまち晴れたこともある。
 
 JR北新井駅から、徒歩30分で鮫ヶ尾城のふもとに到着。
斐太(ひだ)神社社殿脇の坂道から、テクテク登る。
ただ、春日山で他の友人2人が待っているので、昼すぎには戻って来ねばならぬ。
 猛ダッシュで、鮫ヶ尾城を登り、速攻で山を降りる。笑
 
 鮫ヶ尾城から、春日山城が見えるんだよね。
景虎も、見たんだろうな・・・。
御館の乱の時のものです。430年前の米。
文化財なので持ち帰り禁止なので、写真を撮る。


 以前上越のO様に教えていただいた春日山のスーパーHarashinで、友人固焼きせんべい様とM様と合流し、4人で春日山城にいざ登城。

 謙信公が飲んだ御前清水で、謙信公に感謝しながらペットボトルに水を汲む。
 守っていらっしゃる観音様に、赤いストールが巻かれてました。
大切にされている様が、心暖かな気持ちにさせてくれます。


 山に登りながら、謙信の莫大な財源だった青苧(あおそ)や、矢にする矢竹を確認し、頂上にたどり着く。
 そこでしばし休息。
お天気が良くて、青い空、直江津の青い海が本当に美しかったです。
謙信の見た景色、何度見ても涙が込み上げるほど好きです。

 
 そして、今度は林泉寺に向かう。
いづなお守りを買い換えたので、以前のをお寺に納める。
←上品な色合いの林泉寺のお守り。

お守りは、魂を抜きお焚き上げされるそうです。
 私は以前、謙信公と信玄公ゆかりのお守りを紐が千切れて紛失したことがあり、落とした銀座のあたりを必死で探したことがある。
 見つからず、え〜ん、と思っていたが、家に帰ったら枕元にありました。笑
 ええ、今でも大事に持っています。

さて、陽も暮れ、春日山界隈は暗くなり、私達は夕食会場へ。
これが、戦国食の饗宴と貴重な出会いがあったのであります。 

【2009.12.04 Friday 08:47】 author : いづな薫 
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栃尾・浦佐 上杉×伊達ツアー
さて、先日の上杉×伊達ツアー詳細日記です。

1日目いづな一家は、栃尾城に行くため、新幹線で長岡に降り立つ。
正確にいえば、栃尾城址なのだが、あえて栃尾城と言う。
長岡界隈は、街路樹が皆、ななかまど。
七回かまどにくべても燃えないことから、ななかまどの名が付いた。
 街路樹としては珍しいか?暖かい東京はイチョウが多いかな。
 う〜ん、赤が目にしみる。



栃尾城の秋。
私の心の中には、今も14歳〜の謙信がここにいる。
だから、私は幾度も参る。
 この栃尾城の石柱は、大手道だった所の諏訪神社の前に建つ。石段を登って行く。
 後ろから、少年の謙信が身軽にタンタンッと駆け登り、追い抜いて行く。
そんな幻を見る、栃尾である。
 



 栃尾は江戸時代、長岡藩の管轄になる。
長岡藩とは、河井継之助(かわいつぐのすけ・幕末越後長岡藩家老)を生んだ藩である。
 その長岡藩の家臣が栃尾を治めるため赴任する時、水杯を交わして別れを覚悟したと言う。
 栃尾には、謙信没後も長き間、「お屋形さまは謙信公のみ、長岡藩何するものぞ!」の気概があった。
 それほど、謙信信仰の強い町である。
 栃尾へ行く長岡藩家臣は、死を覚悟せねばならなかったのである。

 長岡藩は、幕府側だったため、新政府軍と激戦になる。
その城は徹底的に破壊され、跡形もなく、わずかに石垣の石があるのみ。
現在のJR長岡駅の場所が、城の本丸である。

 その長岡駅に戻り、いづな一家、次にどこに行こうか迷う。
候補1、関興寺。 候補2、与板城。 候補3、河井継之助のお墓参り

 関興寺に決まり、新幹線で越後湯沢へ。
所が、越後湯沢に行く手前、車内アナウンスで「浦佐〜」と聞いたとたん、
謙信ゆかりの浦佐毘沙門堂に行こうハート」と言い出す。
 謙信と聞けばすぐそっちへ流れる、場当たり的ないづな一家。

 浦佐駅を降りると、この案内板にブロックされた!

 浦佐駅に、直江兼続ハンドソープがあった。キャッチフレーズは、
戦(いくさ)のあとも、しっかり手洗い!



浦佐毘沙門堂は、摩訶不思議なお寺。
クルクルしているギボシ、寺の周りを囲む堀がまるで要塞のようだ。
急に門を閉めて攻撃態勢に入りそう。笑



 謙信公お手植えのケヤキの大木。左が長寿のケヤキ、右が吉祥のケヤキ。樹齢500〜600年?
謙信公が生きてしたのは、450年くらい前。
 どんな大きなケヤキを、お手植えされたの?笑
それでも謙信のオーラを感じる、太い幹である。



のベコニア。



 毘沙門堂の裏には、浦佐城がある。
雨にもかかわらず、登ってみた。滑るので、皆様は晴れの日に行って下さい。

 謙信や景勝に仕えた重臣・水原親憲(すいばらちかのり、生まれた時は大関家)の生まれた城である。
彼は、革籠原で、徳川を追撃してはならぬと考えた家臣である。
 米沢の林泉寺にお墓がある。

水原親憲の出生譚に、不思議な逸話が残る。
浦佐城主・大関親信が、柏崎から居城のある浦佐への帰路、とある村の火葬場近くを通りかかる。
 そこに、火葬の灰でおはぐろを染めている女がいた。
 大関親信は驚き、理由を尋ねると、火葬の灰は、おはぐろがよく染まると言う。
女の肝の太さに感嘆し、妻として娶り、生まれたのが水原親憲だと言う。
 彼が生まれた浦佐城も含め、摩訶不思議で、ぜひまた来たい町である。

【2009.12.01 Tuesday 22:26】 author : いづな薫 
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今日の晩ご飯

大変美味しかったです。
どこで、何をいただいたかは、また後日!



【2009.11.23 Monday 22:05】 author : いづな薫 
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鮫ヶ尾城

鮫ヶ尾城で伊達政宗コーヒーを飲む。
歴友のゆきさんが、買って来て下さいました。
快晴の鮫ヶ尾城です!


【2009.11.23 Monday 12:35】 author : いづな薫 
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紅葉のような家臣に・・・

天地人の直江兼続が、昔、母に「紅葉のような家臣になりなさい」と、言われてました。
兼続は、粉骨砕身上杉家のために尽くし、紅葉の家臣になったのですね。

今日はいづな一家、紅葉狩り中。
場所は、上杉謙信旗揚げの地、新潟県の栃尾です。
謙信が14〜19歳まで、暮らした栃尾城址や謙信像のある秋葉公園などがあります。

写真は、紅葉の向こうに秋葉公園の謙信像を臨む。


【2009.11.21 Saturday 13:21】 author : いづな薫 
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兼続・景勝の郷

シルバーウィーク、会津に続きこれでもかの上杉ツアーをしています。

今回は新潟、兼続・景勝のふるさとです。
景勝が産声を上げた樺沢城をたずねたり(坂戸城誕生説もあり)、温泉のはしごもしました。
打たせ湯が、たまらなく気持ちいい〜。


【2009.09.27 Sunday 16:04】 author : いづな薫 
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春日山城と、天地人博
鮫ヶ尾城から、いったん東京に戻り、また越後にUターンして、春日山にいきました。
春日山城を大手道から登り、柿崎屋敷、景勝屋敷、大井戸曲輪、毘沙門堂と見て行く。
 三の丸に降り、景虎屋敷、米蔵を見る。
直江屋敷にも向かう。

左:毘沙門堂                  右:直江屋敷跡


 この後、春日山から北上し、居多神社(こたじんじゃ)に参拝。
上杉家のご本をたくさんお書きになっている、花ヶ前さんが宮司を勤める神社である。
親鸞聖人の越後七不思議の一つ、「片葉の芦(あし)」が群生する神社。
ふつう芦(あし)は、交互に葉が付くが、片方にだけ生える。
 親鸞が居多神社に参拝したら、一夜で境内の芦が片葉になったと伝えられる。
 
 そのあと、謙信が再興した五智国分寺に参拝。
そして、近所の光源寺に行く。
ここは、川中島合戦の発端となった、村上義清が葬られ、供養塔がある。
 長野県埴科郡坂城町の墓所は、分骨。
 
左:居多神社         中:五智国分寺         右:村上義清供養塔のある光源寺。


 村上義清は、死して後、実子・山浦景国(謙信養子)によって、五智に埋葬されたと言われている。

 直江津から、五智までを府内と言い、謙信の時代、城下町として繁栄を極めた。
 五智から、直江津の天地人博へ向かった。

 このキャラクター、3人セットの”けんけんず”の”けんけん”だそうだが、この日、仲間の謙信くんと、兼続くんがいない。
 スタッフさんに、「お友達はどうしたんですか?」と聞いたら、
出張中とのお返事が。
 「どちらへ?」としつこく聞いたら、
「今日はスタッフが足りないんですよー」と吐露。
あー休日で混んでいるものね。笑

お土産店で売られていた、のかんざし。勇気のある人、差して下さい。笑

【2009.04.01 Wednesday 21:23】 author : いづな薫 
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鮫ヶ尾城の米蔵
「お米、出るでしょ?」
鮫ヶ尾城の米蔵址で焼き米を見ていたら、上越から来た4人家族が声をかけてくれた。
 成人した?息子さんたちを連れて、ご夫婦はカメラ撮影と、古城歩きを楽しんでいらっしゃるとのこと。
このご家族と、米蔵址で上杉家の歴史談義に大いに盛り上がりました〜。


【2009.03.31 Tuesday 20:48】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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